第一章  其の壱



乙姫(いつき)はそんな室内を静かに見回し、控えめに嘆息した。
端正な顔をした十四・五歳に見える彼こそ、その少年である。
けして派手な容姿ではない。
だが、一見しただけではわからない隠された華やかさに気付かされると、とたんに目が離せな
くなってしまう。
項にかかる程度の長さの癖がない真っ直ぐな黒髪は、陶器よりもわずかに温かみがある肌を引
き立たせている。
五尺を越しているが六尺には遥かに満たない身体は標準よりも華奢で、必要最低限の筋肉しか
付いていないらしい。
しかし、今時の少年らしく、すらりと伸びた手足は細く、また長い。
乙姫は薄い色合いの単を何枚も重ね、表に出ている白地の着物の更に上に、黒い羽織りを肩に
かけていた。
纏う空気は、部屋のそれとは似ても似つかない清廉なものだ。
ほんのりと色付いた唇は何かを耐えるように一文字にされ、ある一点を脇目もせずに見詰めて
いた。
注目すべきは、その瞳だ。
乙姫の瞳は日本人ならば至極当然である黒い瞳ではなく、中央に向かうにつれて、濃いスカイ
ブルーから薄いマリンブルーにグラデーションがかかっている特別な瞳だった。
例えば、乙姫の瞳を構成しているそれぞれの色彩の瞳を持つ人間だったら、日本から一歩出れ
ば腐る程いるだろう。
しかし、この二色が混じり合わずに共存する瞳など、この世に存在しえない。
乙姫がこの部屋に滞在する理由となったのも、この目が原因である。
数週間前、とある老夫婦の下、不自由ながらもごくごく平凡な生活をしていた乙姫は、『本家の
遣い』と名乗る男達に半場強引に連れて来られ、それからずっとここにいる。
なんでも、十数家もの分家を抱える本家―――――柳沢の頭首が、死ぬ間際に乙姫を次期頭首
に指名していったというのだ。
その人と奥方の間には家督を継ぐ者が生まれず、分家の内の誰かから指名されるであろうこと
はわかりきっていたが、さすがに分家とは名ばかりの、かろうじて末端に引っかかっているよ
うな家から引っ張ってくるとは、誰しも予想だにしなかったようだ。
柳沢一族といえば、明治天皇の御世に元華族と元財閥の血を掛け合わせた、政財界に多大な影
響力を持つ、日本屈指の名門一族である。
その力は国内に留まらず、国外においても確かな力を持っている。
そんな一族の頭首ともなれば、指先を動かすだけで万人が認める要人や大企業を潰すことがで
きる権力者だ。
地位も金も名誉も、求めれば全て難なく手に入ることから、頭首の座を狙う者は多い。
それ故に、乙姫が頭首となることに反対しない人間がいるはずもなく。
激しい抗議を受けた乙姫だったが、被害者であるはずの乙姫でさえ『その通りだ』と思ったの
だから、それは仕方がないことだろう。
表向き、前頭首と乙姫にはなんの関わりもない。
しかし実際は、前頭首と行きずりの女との間に産まれた、前頭首の実子だった。
それを知ったのは小学校に入ったばかりの頃で、なんの前触れもなくたった一人で訪問してき
た実の父親に、面と向かって『認知はしない』と言われた。
優しい老夫婦に実の子供のように育てられた乙姫は、それなりにこの慎ましやかな生活を気に
入っていたし、見もしないような世界に飛び込むのが怖かったため、『それでいい』と頷いたの
だ。
本来親から与えられるはずの恩恵を受けられない代償として、『今後一切の関与を拒否する』と、
拙い言葉で必死に主張したのをよく覚えている。
約束は違えられた。
事前に用意されていた遺言書と、乙姫の素性を確かなものとする諸々の書類を突きつけられる
と、抗議をしていた輩は押し黙ってしまった。
何よりも血筋を重視する彼らは、目の前に突きつけられた証拠に寓の音も出せず、あっさりと
退いたのだ。
しかし、それは柳沢の実権を握る手段を変更しただけに過ぎなかった。
頭首の座に就いたとしても、所詮は子供。
実際に一族を統率する力はなく、ましてや柳沢が抱えている財を管理・運営する力はないのだ
から裏から操ってしまえという魂胆らしい。
今では一回り以上歳の離れた乙姫にゴマを擦り、へこへこと頭を下げ続ける毎日だ。
実に滑稽である。
まぁ、乙姫自身、やろうと思えば簡単にできることを、『面倒』という理由で放り出しているの
だから、今のところはそれについてとやかく言うつもりはなかった。
なんてったって、そのおかげで、乙姫にとっては肉体的に快適な生活が約束されたのだ。
この特別な目のせいで直射日光を浴びることができない乙姫のために、代々の頭首の部屋をな
んのためらいもなく改装した上、身に付ける物全てが一級品。
大人しく上座に座って笑ってさえいれば望む物はなんでもすぐに手に入るし、有り余る時間を
どんな風に過ごしていようと自由。
頭首としての形だけの教育は、たとえそれを生かす場がなくとも、それなりに面白く充実して
いる。
ただし、精神的に快適であるかどうかは、この際、問題として上げてはいけないが。
乙姫は視線を御簾に固定したまま、静かに口を開いた。


「…………誰だ」


問う声は闇に溶けて消えてしまいそうな程小さかったが、静寂に満ちたこの室内では充分な声
量である。
御簾の向こう側から、くぐもった笑い声が聞こえてきた。
ここは頭首の部屋―――――つまり乙姫の部屋であり、乙姫以外の人間が本人の許可なく立ち
入ることなど許されはしない。
それだけならまだしも、上座に位置する御簾の中にいるなど考えられないことだ。
なのに、その人はここにいて、乙姫の反応を楽しんでいる。
いつのまに香を焚いたのだろう。
鼻を突く、あまりにも強く甘い香りに、乙姫は一瞬眩暈を覚えた。
畳に手をつきたいという衝動をなんとか耐え、乙姫は再び口を開いた。


「…………誰だ」

『さぁて、誰なんでしょうねぇ?』


茶化した物言いに、乙姫はある特定の人物を思い浮かべた。


「お前、まさか」


裾を捌き歩み寄ると、中にいる人物を確認すために御簾を引き上げようとした。
しかし、それよりも早く御簾と御簾の間からぬっと突き出た腕に差し出した手を取られ、有り
得ない力で御簾の中に引き込まれた。


「あ…………っ!」


視界が激しく揺れ動き、気付いた時には柔らかい布団の上に組み敷かれていた。
いくら暗くとも、今は太陽の光が燦々と降り注ぐ昼間。
相手の顔の判別くらい、光に弱い乙姫でも容易にできる。
乙姫は自分を組み敷いている相手を睨み上げ、小さく吐き捨てた。


「冬吾!」


名を呼ばれた少年は、満足そうに笑った。


「兄上サマ、ご機嫌麗しゅう?お元気そうで何より。ご病弱と聞き及んでおりましたので、と
うにくたばってるかとばかり思っていたんですが…………案外図太くていらっしゃる」


くつくつと笑う冬吾に、乙姫はかっとなって叫んだ。


「お、前―――――」


その言葉は冬吾の大きな手の平に吸い込まれ、咽の奥へと逆流してしまう。


「いけませんよ、兄上サマ。お身体に触ります」


乙姫は冬吾の手を払い除け、眼光をきつくした。


「…………なんの用だ」

「いえね、近頃兄上サマの体調が優れないと聞きましたので、こうして私自ら見舞いに上がっ
た所存です…………まさかそれさえも許さないと?」

「見舞いだと?何を馬鹿なっ」


楽しそうに細められる目を睨み返し、乙姫は鼻で笑った。
本当に、目の前のこの男は何を言うのだろう。
確かに、良く言えば、この男とは本音を隠さず言い合える関係だ。
しかし同時に悪く言えば、相手と円満な関係を築く必要性を感じない関係なのだ。
乙姫は知っている。
乙姫のことを『兄上サマ』と呼び、小馬鹿にしたような物言いをするこの男が、自分のことを
この上もなく憎んでいることを。
冬吾は琥珀色の目を細め、成す術もなく組み敷かれたままになっている乙姫を見下ろした。
嘲りと憎悪と焦燥と嫉妬とが綿密に絡み合った、なんとも言えない目である。
今時の若者らしく髪の毛を赤く染めた冬吾は、この部屋の一部として完璧に組み込まれている
乙姫とは違い、屋敷全体で見ても、明らかに異質だった。
この屋敷内で通例となっている和服も、この男にかかれば見事に着崩され、なまじ顔立ちが整
っているだけに、そこにいるだけでまるで一種の毒のように淫猥な空気を放っている。
間違っても、快適なものなどとは言えなかった。
この『冬吾』という少年は、乙姫にとっては一つ年少の血の繋がらない弟である。
どうやら子供を望めない身体であったらしい前頭首の奥方がだだをこね、孤児院から引き取っ
てきたのが冬吾だ。
初めから冬吾には家督を継ぐ権利などなかったが、形だけでも親子であった冬吾がその権利を
貰えなかったのがよほど堪えているようであった。
頭ではわかっていても心情的には納得できないという、典型的な例である。
そんな冬吾が、なんの苦労もなく頭首の座を射止めた乙姫を疎ましく思わないはずもなく、こ
とあるごとにこうして乙姫に絡んでくるがゆえに、冬吾のこの行為は日常となりつつある。


「御頭首就任の儀以来、直接まみえることはありませんでしたっけねぇ?それより一つ伺いた
いことがあるんですが、構いませんか?」


言葉では下出に出ているが、拒否することは許されない有無を言わさない口調に、乙姫は内心
で盛大に舌打ちした。
乙姫の返事を待たず、冬吾は地を這うような低い声音を発した。


「分家の能無し共に、後見人という立場を許すという噂は本当ですか」

「なんのことだ」

「知らばっくれても無駄ですよ、どうなんですか」


押さえつけられた肩に鈍い痛みを感じ、顔を顰めながらも、乙姫は憮然とした態度を崩さなか
った。


「それをどこで聞いた?」

「…………『どこで』ですって?その若さでトチ狂いでもしたんですか。どこでだって好き勝
手に飛び交ってるに決まってるでしょう。奴らはその事実を誇示して印象付けたい訳ですから、
それこそ節度なんてないも同然ですよ。…………で、どうなんですか」


どうもこうもない。


「まだ、それを認めた覚えはない」

「ではいずれはそのつもりだったと、そういうことですか?」

「い―――――っ!」


骨が軋む程肩を鷲掴みにされ、乙姫はうめく。
しかし、そんなことは初めから眼中にないとでもいうように、冬吾は声を荒げた。


「そんなこと、俺が許さない!!」


かろうじて使っていた敬語も一人称さえも投げ捨て、体裁を取り繕ろわなくなった冬吾は、怒
りで鋭くなった眼光をさらに鋭くした。


「そうやってアンタは、俺が望んでも手に入れられなかったものを、あっさりと奴等に引き渡
すというのか!?それだけの能力を持ちながら、みすみす奴等にくれてやると!?馬鹿にする
にも程がある!!」


「痛、い…………冬吾、止めろっ」


自分を苦しめている原因の腕を除けようと手を伸ばすが、あまりの痛さに力が入らない。
伸ばした手は冬吾の袖を引くだけで終わり、力なく褥の上に落ちる。
この程度で抵抗の手段を失ってしまうと、さすがの乙姫も自分の体力の無さを呪わずにはいら
れなかった。


「いいか、乙姫。アンタは他の誰でもない、俺の物なんだ。勝手な行動は許さない!!」

「お、れは物じゃないっ」

「いーや、物だね。いずれ俺が上に登るのに必要不可欠な、利用価値のある道具だ!勝手な行
動、ましてや奴等の手に落ちることなど許さない!!」


常人ならば萎縮してしまいそうな剥き出しの怒気に、しかし乙姫は負けず劣らない怒気を発す
る。
怒りで、瞳の色が薄くなった。
意思のある人間を頭から道具扱いする冬吾に向けての台詞は、容赦が無い。


「お前に許してもらう必要性がどこにある!?俺は俺だけのものだ、誰のものでもない!!俺
をどうしようが俺の勝手だろう!?死に損ないのヒヒ爺共の言いなりのお前に、どれ程の力が
あるというんだ!自惚れるのも大概にしろ!!」

「…………本気で言ってるのか」

「お前こそ、正気で言ってるのか」


乙姫の問いかけに、堪らないとばかりに冬吾は笑い声を上げた。
場にそぐわない奇抜な笑い声に、乙姫は背筋に冷水を浴びせられたような錯覚に陥った。
鼠が猫を恐れるような動物の本能的な恐怖が、乙姫の中で頭を擡げる。


「本気でなかったら、そんな大それたことを言うはずがないでしょう?どうやら兄上サマは、
その辺りをよく理解できていないらしいですね…………もう一度言いますよ」


冬吾は乙姫を呑むには充分な威圧感を背負い、一言で言い切ってのけた。


「アンタは俺の物だ」


ヒュッと息を飲んで表情を固まらせる乙姫を見て、冬吾は咽の奥で笑った。
そしてそのまま、仰け反った乙姫の白い咽元に、なんの躊躇いも無く噛み付いた。


「―――――っ!」


悲鳴さえも上げられない。
まるで、獲物息の根を止めようと血肉共々喰い千切っていく獣に、それさえも持って行かれて
しまったかのようだ。
皮膚の層が薄い箇所を噛み切られた痛みに、乙姫の視界はほんの数瞬霞んだ。


「と、うご…………っ」

「止めてやらない。あんたに思い知らせてやる」


『幸いなことにあんた綺麗な顔してるから、男でも全然問題ないしね』と不穏な言葉を発し、乙姫の濃紫の帯に手を掛ける。
その意図を察した乙姫は正気に返り、なんとか冬吾の下から這い出ようと身体を捩らせた。


「は、離せ!」

「そう言われて、素直に『はい、そうですか』と離す人間がいるとでも?」

「冬吾っ!!」


非難の声にも、冬吾は応じない。
あっさりと帯を解かれた乙姫は、暴れたせいで急に外気に晒された足に気付き、慌ててそれを
閉じようとした。
しかし、それはいつのまにか間に挟まれていた冬吾の足に阻まれ、目的を達成することはでき
なかった。
太腿に冷たい手を這わされ、乙姫は思わず堅く目を閉じた。


「赤ん坊の肌みたいだな…………俺の手に吸い付くみたいだ」

「…………やだ、嫌だ!誰かぁっ!!」

「おっと」


冬吾は乙姫の口を塞ぎ、意地悪く笑った。


「そんな大声出していいのか?まぁ、もっとも…………アンタが人に見られたいって言うなら
話は別だけど?」


こう言われてしまっては、乙姫はそれ以上騒ぐことができない。
押し黙った乙姫に満足した冬吾は、抵抗できないように乙姫の手を上方で一纏めにし、残され
たもう片方の手で着物の合わせを開いた。
差し込まれた手の指先が着物の下に隠れていた突起に触れると、乙姫は身体をビクつかせた。


「あっ」


けして、苦痛の声ではない。
快楽を伴った甘みを帯びた声に、乙姫だけでなく冬吾もしばし呆然とし、すぐに面白そうに感
嘆の声を上げる。


「…………へぇ〜ここがイイんだ?」


今度は明確な目的を持って動いた指が、薄紅色に染まった胸の突起を露わにする。
先程の刺激で感覚に目覚め始めた乙姫の身体は、その温度差にさえ過敏に反応した。


「これなら楽しめそうだな、兄上サマ?」

「やだ、止めろっ」

「あーもー煩いな。せっかくだからアンタも一緒に気持ち良くなればいいだろう?」

「何を―――――ん!」


立ち上がった小さな突起を爪で弾かれ、堪らず乙姫は唇を噛み締めた。
そうでなれば、どんな声を上げてしまうかわからない。
しかし、冬吾はどうやらそれがお気に召さなかったらしい。


「…………なんだよ、聞かせろよ。アンタがどんな声で鳴くのか、ちゃぁんと聞いててやるか
らさ」


突起の先端に爪を立てられたり、強弱をつけて指の腹で押し潰されたりすると、堅く閉ざして
いた口も緩み、空気が洩れるような音が出てくる。
乙姫は、先程背筋を襲った冷たい感覚とはまた別の、身体の奥が疼くような感覚に身を震わせ
た。
下腹部に痺れるような感覚が生まれる。
この歳になっても自慰行為をあまりしたことがない乙姫にとって、それは恐怖にも近いものだ
った。
自分の身体が男に弄られて喜んでいると認めているようなものなのだから、それも無理はない
だろう。
冬吾はそんな乙姫の表情を見て、口元を歪めた。


「イイね、ゾクゾクする。あんた、屈辱に耐えて必死になんでもないように装うその顔が、実
は一番男心をそそるだなんて思いもしないだろう?」
 

乙姫は憤慨した。


「お、前、いい加減に―――――」

「するのはそっちだ。自分の立場ぐらい理解したらどうなんだ?」


そう言って、冬吾は赤く色付き始めた乙姫の胸の突起に唇を寄せた。
そして次の瞬間、乙姫は堪え切れずついに嬌声を上げてしまう。


「あぁ…………っ!!」


『得たり』と、冬吾の口角が上がる。
冬吾の舌先で突起が転がされると、生温かい唾液が妙に現実味を帯びた水温を立て、御簾の中
だけでなく室内全体が卑猥な空間へと変わっていくようだ。


「や、あ…………ぁんっ」

 
乳輪の輪郭をなぞられ、甘噛みされたり唇で挟まれたりと、本来ならば女にする行為を繰り返
される。
すると、自分ではもはや制御不能な快楽の波が下半身に集中してきた。
もはや、寒さは感じない。
半裸状態にされているにも関わらず、身体そのものが熱源になっているのだという錯覚に陥る
程、温かく熱い。
片方の胸の飾りを弄っていた不埒な手が、おもむろに下へと移動する。
括れとまではいかないが滑らかな腰のラインを辿り、その手は存在を主張して堅くなり始めて
いた乙姫自身へと伸ばされた。


「んやぁ…………っ!」


ひんやりとした冷たい手の平に包み込まれ、その冷たさに驚き、乙姫は腰を引く。


「駄目だ、逃がさない」


突起を唇に挟まれたまま、吐息で擽られる。


「あぁ、んっ」


乙姫はいやいやと首を左右に振るが、それは当然の如く聞き入れてもらえない。
自身でさえも躊躇うそこに他人が触るという違和感は、どうしても拭い取ることができなかっ
た。


「…………ここをこんなにしておいて、『嫌』は無いんじゃないか?」

「やだ、やだ!止め、ろ…………も、勘弁っ」


乙姫の懇願を一瞥しただけで黙殺した冬吾は、『もっとヨクしてやるよ』と言うのとほぼ同時に、
成長しきっていないソレをなんの前触れもなく口に含んだ。


「ひゃあぁっ!」


根元まで一気に口内に咥え込まれ、乙姫は甲高い悲鳴を上げた。
ソコで感じる冬吾の口内は熱く、液状の粘膜に包まれる感触はなんとも表現し難い。
かつて感じたことのないその感覚は不快ではないが、なぜかその分恐怖を感じる。
じわりと生理的な涙が浮かんでくるものの、両手を拘束されているため拭うことさえもできな
かった。


「な、んで、そんなこ、と…………?んやぁっ」


冬吾を突き離すこと―――――ましてや、冬吾から逃げ出すことなどできるはずもなく、『お願
いだから、後生だから』という息切れ混じりの声は、室内の闇に吸い込まれていく。
あまり目立たない裏筋の辺りを重点的に攻められると、乙姫の本心とは別に、身体は過敏に反
応してしまう。
それが更なる羞恥を誘い、乙姫は潤んだ瞳で冬吾を恨めしげに睨んだ。
なんで、どうして、自分がこんなことをされなければならないのか。
お互いに笑い合える和やかな仲ではないのは確かだし、これからもそうなる見込みは皆無に等
しいだろう。
だからと言って、こんな尋常ではない仕打ちを受けさせられる謂れはないのだ。
大体こういう行為は、男女間における種の保存のための生殖行為であるはずで、少なくとも兄
弟、同性同士で行うものではない。
同性を好きになる――――そういう性癖を持っている人がいることは知っている。
もちろん、たとえそれが自然の摂理に反する行為だとしても、全ての人間がその枠に当て嵌ま
る訳ではないのだから差別するつもりはないし、個人の人柄が良ければ、それは尚更だ。
しかし、その対象が自分へと向けられるとなると話は別である。
常に女の影がちらついている冬吾に、男色の気があるなどということは聞いたこともない。
絶対にとは言い切れないが、乙姫の認識にほぼ間違いはないだろう。
それなのに、なぜ。
疑問符ばかりが頭をよぎる。


「…………お前、変だっ」


乙姫のかすれた呟きに、冬吾の表情が一瞬固まった。


「お前変だ!こんなことして、一体なんになる!?」


目元を赤く染め、精神的苦痛と肉体的快楽の狭間を右往左往していた乙姫は、それでも気後れ
することなく凄んだ。


「こんな、不毛なこと―――――んぅっ!」

「煩いな」


乙姫のモノを口に含んだままだった冬吾は、口内で舌を器用に操り、如実に反応を示しつつあ
ったソレに巻き付けた。
その奇妙な吸着力を今一番敏感になっている箇所に直に感じ、乙姫の身体は勢い良く反り返る。
じゅくじゅくと溢れ出る先走りの液は冬吾によって飲み込まれ、不愉快な言動を封じるように、
より高みへと追い上げられていった。


「溜まってるんだろ、ペースが速いもんなぁ?」


先端近くの出っ張りに歯を立てられ、今までの比ではない痺れが腰に走った。


「やあ、ぁ…………っ!」

「イッちゃいそう?」


寒気を感じさせるような、どこまでも淫等な笑み。
その瞳の中に宿る狂気から、すぐにでも達しそうな極限ギリギリの状態なのにも関わらず、乙
姫は目が離せなくなる。
『憎い』と、『恨めしい』という澱んだ感情の奥に、狂おしいくらい切ない思いが見え隠れして
いる気がした。
乙姫は、らしくない冬吾を静かに見やったが、目と鼻の奥がツンと痛くなり、すぐさま視線を
外してしまう。
冬吾が抱える感情が伝染でもしてしまったかのように、乙姫の心の内に波風を立てた。
自分を縛り付ける全てのものを投げ捨て、人目を憚らず泣き叫びたくなる。
しかしそうしなかったのは、形だけだとしても頭首の、そして何よりも一個人としてのプライ
ドが、それを許さなかったせいだ。
こんな奴、とは思う。
でも殺してしまいたいと思うほど、冬吾のことを厭っている訳でもない。
もしも義兄弟として二人が出会わなければ、もう少しマシな関係を築けただろうにと考えると、
いてもたってもいられなくなる。
少なくとも、こんなに殺伐とした関係ではなかったはずなのだ。
誰一人幸福に成り得ないそれは、果たして偶然か必然か。
偶然にしてはあまりにもできすぎているし、必然なのだとは認めたくなかった。
ふいに、どうしようもない脱力感だけが身体を支配する。
この先に待っているであろう目先の快感と、未体験の痛みを想像しながら意識を身体から切り
離し、深淵の中へと徐々に沈めていくと、五感が感じ取る世界がフィルターがかかったかのよ
うに曖昧になった。
頬を伝って褥に染み込む涙の冷たさも、もはや遠い別世界のものに成り果てた。
諦めにも似た嘆息を洩らしたきり、乙姫の唇は何も紡がなくなる。
どうかこの強く甘い金木犀の香りが、何もかも忘れるくらい酔わせてくれるように―――――
そんな祈りにも似た願いを込めて。
乙姫はそっと、瞼を下ろした。





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