恋愛絶対否定論

序章  神官見習生の日常
人間、自分の能力の範囲外のことをしようとしても、なかなか上手くいかないものだ。 それを今、その身をもって体験している少年は、『危うげなく』とはけして言えない足取りで、 日当たりが良好な石畳の回廊を千鳥足で歩いていた。 ようやく十代後半に差し掛かったばかりの、華奢な身体つきをした少年である。 色褪せていなければ鮮やかとも言えたであろう赤褐色の髪はボサボサで見る影も無く、顔の 上半分を覆い隠す前髪の間から気まぐれに覗く同色の瞳からは、寝惚けた印象しか受け取れ ない。 目が悪いのか黒縁の眼鏡を掛けているが、それにしてももう少し選びようがあるだろう。 全体的な野暮ったさで、常々損をしているタイプの人間だ。 しかし、必ずしも彼そのものに人を惹きつけるような魅力が無いという訳ではなく、あえて 言うならば、限りなく自然に近い中にある極少の違和感が不自然すぎて、一度気に掛けたら 気にせずにはいられないということだろうか。 それでも、顔の美醜はともかくとして、俗に言う『目立つタイプ』でないということだけは 確かである。 そんな少年の口から洩れるのは。 「重いっつーの!」 悪態混じりの、乱暴な言葉使い。 それもそのはず。 灰色と白のコントラストが禁欲的な印象を与える修道服は、裾が足首まで達する長さで、た だでさえ機能的ではない服装だというのに、少年が両手で抱えている本の量は常識では考え られないほどの量。 一冊一冊を手に取ってみても確かな重さを主張する厚く古い丁重の本を、一人で十数冊も抱 えているのだ。 本来、通常は二人がかりで運ぶ量なのだから、少年一人で運べというのも無理な話である。 しかも、左手首に嵌められている木製の腕輪が邪魔をしていて、その効率の悪さときたらな い。 「でも、文句は言えねぇ身の上だし…………ここでこうしていられるだけでも、神官長様に 感謝しなきゃだよなぁ」 そう。 たとえ高慢で世間知らずで鼻持ちならないガキ共に雑用を押し付けられようとも、滅多にい ない『木輪の見習生』として馬鹿にされて爪弾きにされようとも、ここに置いて貰えるだけ でも自分にとっては幸せなことなのだ。 だから。 「ねぇ、凌駕。今の君の姿、すっごくマヌケだよ?」 親しげに『リョウガ』と声を掛けるくせに、その実、そこに隠された悪意含有量がとてつも ない台詞を平然と吐いた通りすがりの候補生に何を言われようと、広い心と完璧な自制心で いつもその場を切り抜ける。 凌駕は盛大に顔を顰めたが、その表情は長い前髪の奥にあるため隠されたままだ。 「…………候補生や秀生の皆さんが自分の荷物を自分で運んでくれたら、俺だって『すっご くマヌケな姿』にならずに済んだんですけど」 「あはは、面白いこと言うね!」 候補生は笑った。 赤茶の髪に翡翠の瞳を持つ色彩際鮮やかな少年だが、きゅっと上がった吊り目が少しキツイ 印象を持たせる。 割と綺麗な顔をしているのだろうが、凌駕の目には、性格の悪さが強調されている顔としか 映らない。 取り巻きの連中も似たり寄ったりで、その顔をカボチャやキャベツに変換して頭の中で罵倒 するのが、表立って反撃することができない凌駕の数少ない楽しみの一つなのである。 そんなことを知らない赤毛の少年は、絶対的に優位な場所に立っていると疑わず、俺様な態 度を崩さなかった。 「そういうことをするのが、木輪の下位就学生の役目じゃない」 「…………どうせ俺は、せいぜいが木輪の半端者ですよ」 「自覚あるんだ?じゃあ、これも宜しくね」 落としたら神官様に『木輪の見習生が勉強の邪魔をした』って言い付けるから、と。 まるで子供のような脅しをして、数冊の本を追加する。 またしても重量を増した本の塔に、もともと限界に近かった凌駕は大きくよろけた。 その拍子に眼鏡までズレ落ちると、期待通りお約束な展開を披露してくれた凌駕に、野菜集 団が爆笑する。 「つくづく期待を裏切らない男だね!」 「ホントホント!どうしてお前みたいな奴がここに入れたのか、俺等にはわからないな。神 子だってつけてないし、どうせ入殿審査の時に何かしらの裏取引でもしたんだろ?」 「コイツの実家に、裏取引持ち掛けられるほどの権力とお金があるとは思えないよ」 「それもそうだな〜」 うわぁ、野菜さん達がなんか言ってるぅー。 もちろん、そんな低レベルな中傷で傷つく凌駕ではない。 だが、本人達はそれで満足しているのだから、その幸せに浸らせておいてやることにしよう。 そんな凌駕の思考を『賢明だ』と褒め称えるように、やたらと響く単調なリズムの音が、敷 地一杯に響き渡る。 本神殿を取り囲む塔が定刻に鳴らす、時間を知らせる鐘と音だ。 すると、視界の端にあった講義室の重厚な扉が開かれ、修道服姿の少年少女達が溢れるよう にして出てきた。 全国各地から集められた神官見習生は、大抵が幼い時分に親兄弟から引き離され、ここで集 団生活を送っている。 それは自分の意志であったり、やむをえない事情だったりと様々なのだが、ここで学ぶこと により人格的に成長する子供達が多いらしく、そういった意味で子供の成長を願う親はこぞ って神殿へと子供を預けているのだ。 神官見習生が修行を終えて帰郷しても、またすぐに定員は一杯になるのはそのためだ。 その他にも、神官となりうる可能性がある子供は国家から援助を受けられる制度があること から、過程を終了してもそのまま残留して修行を続ける子供も多かった。 灰色の修道服の中、希に見かける銀の腕輪をしているのが、その才能を認められた子供であ る。 彼等は『候補生』と呼ばれ、あとは自主勉をしながら、年に一度の国家試験を待つだけとな っている人間だ。 その次にいるのが銅の腕輪をしている『秀生』で、教育課程を修了したと同時に卒業試験を 控えている人間。 更にその次が石の腕輪をしている『就学生』で、神官見習生の約六割を占める。 そして、一番下にいるのが木の腕輪をしている『下位就学生』で、別名『落ち零れ』。 凌駕はその下位就学生でるが故、常にパシリとして扱われる生活を送っているのだった。 「あ、もう終わっちゃったんだ。そういえば、次長様に呼び出しを受けてたな」 「そう。確か冬麻、重要なお役目を頂くんだよな?さすが主席」 「そんなことないよ」 凌駕に突っかかっていた赤毛の少年こと冬麻は、そう言いつつも、心なしか得意げに胸を反 らした。 顎をつんと上げた状態のまま、見下すように凌駕を見下ろし、そして。 「じゃあ、凌駕。ソレちゃんと図書室に返しといてよね」 「俺等名義になってんだから、途中で落として汚したりすんなよな」 そう言って。 凌駕の返事も待たず、いけ好かない野菜軍団は颯爽と歩いて行ってしまう。 残された凌駕は、あまりの重さに小刻みに震えながらも眼鏡の奥で遠い目をした。 「あー平和だなぁ…………」 「どこが!?」 激しい反論が背後で。 確認せずともそれが誰かわかった凌駕は、口元に小さな笑みを浮かべ、その声の主を振り返 った。 「騒ぐなよ、伊吹」 「これが騒がずにいられる!?」 なぜか憤りを隠すことができずにいる少年は、銅の腕輪をしていた。 秀生なのだ。 鋼色の髪に、前髪の一房だけ緑色のメッシュが入っている―――――神官見習い生としては、 『異色』と言わざるをえない少年。 そのくせ顔立ちは小動物系だから親しみやすく、周囲から浮いてたとしても、凌駕のように 他の見習生から孤立しているということは一切ない。 「アイツ等、どこの出か知らないけど良い気になって!恐れ多くも皇太子殿下に向かってな んて言い草なのさ!!」 「や、だってアイツ等、俺の正体知らないじゃん」 「それにしてもだよ!!表向きだけど、これが同じ志を持つ仲間として生活を共にしてる 人間にする仕打ち!?信じられない!!親の顔が見てみたいよ!!」 「そういう風に扱われるのを承知の上でこう装ってるのは俺の方だし、神子がいないのは事 実なんだから仕方ないだろ」 「でも殿下は」 「伊吹」 凌駕は大きな鈍色の目を細め、伊吹の発言を誡めた。 「ここでその呼称を連呼するな。誰かに聞かれたらどうする」 「…………ごめんなさい。でも僕はっ」 「わかってる、ありがとな。でも、俺のために怒ってくれるなら」 凌駕は両手に抱えた本を伊吹に見せつけ、低く唸った。 「これ、半分持ってくれる?」 <<NOVELNEXT>>
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