第一章・其の壱  そもそもの発端は
世界は一つの大陸だった。 その大陸の名を九羅津(くらつ)といい、呉(ご)、眞(しん)、采(さい)、鳶(えん)、庚 (こう)、趙(ちょう)、屑(せつ)、祇(ぎ)、斉(せい)の九つの国から構成されている。 歴史、国土、文化、人種は多種多様で、大陸の覇権を賭けた呉・眞国間における百年戦争が 勃発するまでは自由な国交により人と物の流れが絶えることはなかったが、それも呉国と眞 国のどちらにつくかで大陸が二分されてからは、中立国と言えども気安く行き来することさ えもできない緊張状態が続いていた。 その戦争も数年前に終結し、予想されていたような戦後の大きな混乱もなく、ようやく落ち 着きを取り戻したのがつい最近になってのことだ。 凌駕の生国はあくまで中立の姿勢を崩さなかった祇国で、九羅津の内陸部に位置していた。 国土の四割を山岳地帯が占めているため林業が盛んで、海に面している国々に対し、建築資 材や鉱石などを輸出して国財を確保している。 祇国は九羅津のほとんどの国同様、中央集権体制を取っており、凌駕の父親は言わずもがな 一国の長―――――皇帝であった。 凌駕の両親は世間ズレしていたが、とにかく争い事を徹底的に嫌っており、故に戦時中も最 後まで中立であることを貫き通したのだ。 そんな両親の間に生まれ、この歳になるまで育てられた凌駕が平和主義者になるのは当然の 流れというもので、変装してまで世間の目から隠れるように神殿で生活を送っている今も、 基本的にその考え方は変わらない。 では、なぜ皇太子であるはずの凌駕がそうせざるをえなかったのか。 それは、数週間前に起きたクーデターが原因であった。 王家との婚姻を幾度も繰り返してきた公爵家の若き当主が、突如反旗を翻したのだ。 その結果、大規模な内乱には発展しなかったものの、一般に『王族』と呼ばれる者は皆、例 外なく政治の表舞台から引き摺り下ろされた。 もちろん、先の皇帝である凌駕の父親も皇后である母親も地方に飛ばされ、今はド田舎の領 地で静かに暮らしている。 血が流れなかったことを救いと捉えればいいのかわからなかったが、少なくとも、凌駕はそ うは思えなかった。 このクーデターで変わったことといえば前王朝より多少好戦的になったくらいで、民衆の生 活が激変した訳ではないし、国力が上がった訳でもない。 そのため、多くの人々にとってそのクーデターの原因となったものが何か謎であった。 凌駕はそれを知っている。 ―――――と言うか、ぶっちゃけ、このクーデターの原因は自分だ。 そしてそのクーデターを起こしたのは、四歳年上の幼馴染で現皇帝である朔夜(さくや)。 朔夜の目的は、クーデターによる政権奪取などではない。 それは副産物にすぎず、本当の目的は―――――もうこれは情けなくてくだらなくて親戚一 同に申し訳なくてならないのだが、凌駕と隣国である趙国の第二王女との縁談話をブチ壊す ことにあった。 その話が持ち上がるまでに、告白まがいのものを繰り返しされてきたが、まさかそれが本気 だとは誰が思うだろう。 いくら同性婚が認められている国だとはいえ、王位継承権第一位の人間が実際に同性と結婚 した話など過去一度もないし、古いしきたりがいまだ根強く残っている王家において、『血を 途絶えさせてはならない』という凌駕の考え方は当然のものであり、同性との―――――そ の上、幼馴染との結婚は、初めから頭になかったのだ。 初めてそんな世界があることを実感した瞬間、クーデターを起こされて拉致監禁された挙句、 無理矢理―――――…………。 そんな凌駕を命の危険も省みず救出してくれたのが乳兄弟である伊吹で、隠れ家を提供して くれたのが、以前から懇意にしていた最高神官長、その人だった。 これらからわかるように、その隠れ家とは神殿のことなのだが。 そもそも神殿とは普通の人間が持ちえない力を持つ人間が集う場所であるため、そういった 能力を持ってないと入殿は許されない。 神殿での教育課程を修了させることをステータスとされている子供達にも、それなりに差は あるものの、何かしらの力を持っていた。 幸い、凌駕には人外のモノを見、それらと対話する能力を持っていたため、そうすることが 可能だったのだ。 その能力にも、属性と強さというものがある。 必ずしもそうだとは言い切れないのだが、『属性』というものは本人の気質と通じていること が多く、力の強さを誇示するにも、自分の属性を上手く利用する必要があった。 それが『神子』と呼ばれるモノであり、簡単に言えば自分と同属性の精霊を実体化する力の こと。 属性が同じであれば心を通わせやすく、また、互いの力を交流させやすい。 だから、自分の属性を知ることが一番重要なことで、そこにないモノをあるモノとして実体 化させる能力の計測は、二の次なのである。 凌駕には神子がいない。 実体化能力がない訳ではない。 『むしろ、あり過ぎるほどだ』と、神官長は言う。 強引ではあるが、明らかに自分の属性ではない精霊を実体化させることだってできる。 ただ、その行為は凌駕に必要以上の負荷が掛かり、一定の時間が経過すると元の姿に戻って しまうため、やはり自分と同じ属性の精霊でなければならないのだ。 そこまでの力がありながら凌駕が木輪の下位就学生止まりなのは、肝心の属性がいつまで経 ってもわからないからである。 だから出来損ない扱いされても仕方ないし、凌駕としても下手に注目を浴びて朔夜に見付か る訳にもいかないから、いくら不愉快であろうとなんだろうと、我慢するしかないのだ。 「あ、コーヒーの染み跡発見。希少本なのに…………」 「もう、凌駕君ったらそんな呑気なことばっか言っちゃって!」 「だってこの染みはすごいぜ?ほら」 手元を覗き込んできた伊吹に問題の箇所を見せると、なんだかんだ言っていた伊吹も目を丸 くし、『何コレ!?』と悲鳴のような声を上げた。 「濃さも大きさも天下一品。これを平然と返せるんだから、冬麻の奴の神経もよほどのもん だよな」 「冬麻が持ってた返却本なんだ?」 「そだよ。人にあんなこと言っておきながら自分はコレなんだからさ、ここまで矛盾だらけ だと逆に笑えねぇ?」 「凌駕君が標的にされてる限りは笑えないっ」 ムッとした伊吹が、少々乱暴な動作で本棚へと返却手続きが終わった本を仕舞う。 その反応に苦笑しながら、凌駕もまた同じ目線の棚の隙間を本で埋めた。 「大体アイツってば何様のつもりなんだろうね。数は少ないかもしれないけど、他にも下位 就学生はいるってのに、なんでよりにもよって凌駕君ばかりに突っかかるかな?」 「おそらく、アレが悪かったんだと思う」 「アレって?」 「冬麻の神子を実体化させちゃったんだよね」 あまりにもあっけらかんとした返答に、伊吹は一瞬言葉を失った。 それがどれだけすごいことなのか、伊吹は充分知っていたのだ。 「…………すでに冬麻と契約済の精霊を?アイツの神子って火の精霊だよね?」 「うん、だからやっぱり合わなかったんだけどさ。向こうから話し掛けてきてくれたし、な んか友好的だったからちょっとだけ…………バレない自信あったんだけど、誰かに見られて たらしくてすぐにバレた」 「そりゃあ怒るよー。自分の相棒横取りされたようなもんだもの。しかも相手が、あのプラ イドの塊の冬麻でしょ?違う属性なはずの精霊をいとも簡単に実体化されられちゃったら、 ねぇ…………?」 「別に簡単だった訳じゃ」 「でも、反発もなしにできたんだよね?」 「そりゃあ、まぁ、一応」 「普通できないもの。う〜ん、それじゃあ目の敵にされても仕方ないかもねぇ。それであの 程度で済んでるなら、むしろ良い方なんじゃないかな」 「ん、煙たがられてパシリ扱い…………今までそんなことされたことなかったから、良い経 験と言えなくはないかも」 「ねぇ、凌駕君。その言葉、いまだに王位継承権を持ってる人間の台詞にしては悲しすぎる よ」 その言葉に。 凌駕は背中に哀愁を漂わせ、大きく肩を落とした。 「俺もそう思う…………」 「それにしても、朔夜は何を考えてるんだろうね」 「俺のことだろ」 「そうなんだけど、凌駕君を連れ戻したとして、具体的にどうしたいのかってこと」 「ど、どうしたいのかって…………っ!!」 瞬間、顔を真っ赤にした凌駕は、手にしていた本を取り落とした。 『どうしたいのか』なんて、そんなこと実際に痛い目に遭わされた身としてはわかりきって いることだ。 伊吹も自分の失言に気付き、慌てた様子で訂正を入れた。 「ご、ごめん!そういう意味じゃなくてね、凌駕君の立場はどうなるのかってことなの!! 前王朝の人間を全部追いやって、朔夜は今、平然と王城に居座ってるじゃない?正式にふれ が出た訳じゃないけど、実質的に朔夜がこの国の元首であることに変わりなくてさ。皇帝陛 下からは王権を根こそぎ奪い取っちゃったけど、凌駕君から継承権を奪うなんてことはして ないから何がしたいのかなって」 「…………免罪符みたいなもんなんじゃねぇの?」 「免罪符?」 「アイツのことだから罪の意識なんてまったくないんだろうけど、後味の悪さくらいは感じ ててもおかしくない。絶対戻るつもりはねぇけど、もし俺が戻ったら共同統治でもするつも りなんだろうな」 「共同統治、か…………思い切ったことするよねぇ。今現在九羅津の国々で共同統治なんて してる国ないよ?王族を国外追放にしたしたたかな五大選帝侯が国を仕切ってる庚国は似た ようなものかもしれないけど、中央集権体制を維持したままそんなことしてる国、僕は聞い たことないもの。そうまでして側に置いておきたいだなんて…………愛されてるねぇ、凌駕 君」 「それで拉致監禁で、しかも強姦のオマケ付き?冗談じゃねぇ。そんな一方通行な押し付け がましい愛、俺はいらない」 「うん、凌駕君の考えは真っ当だと思うよ。同性愛に偏見はないけど、さすがにアレは酷す ぎるもん」 伊吹曰く『酷すぎる』愛を一身に受けている凌駕は、床に落とした本を拾い上げながら溜息 をついた。 ―――――と。 「殿下…………っ!」 無人の図書室だからいいものの、誰かに聞かれたら誤魔化しが効かない呼称を口にして室内 に飛び込んできたのは。 流れるような金髪に紫闇の瞳が美しい、どこか儚げな容貌を持つ男性だった。 彼は少年のようにも見えるが青年のようにも見え、実年齢を知る者はいないが、少なくとも 凌駕の父親が初めて会った時にはすでにこの姿だったというのだから、年齢だけなら立派な 老人である。 しかし、わざわざそんな無粋なことを、背中に羽が見えそうな麗人に直接尋ねるような愚か 者はいなかった。 彼こそ『最高神官長』、その人であり、凌駕をこの神殿に匿ってくれた人物だ。 神官長は臣下が主君にするような完璧な礼をとってから、意識せずとも涼やかな声のトーン を落として話始めた。 「緊急事態でございます―――――って、あぁ!またそのような物で、せっかくのお奇麗な 顔をお隠しになっていらっしゃるのですかっ」 「あ」 奪い取られた眼鏡。 寝惚けた色の瞳を隠していた前髪を、しっかりとその顔が見えるように上げられ、凌駕は困 惑する。 顔の半分を隠していた髪の下から現れたのは、意外なほど小奇麗な顔だった。 少女めいた顔立ちではない。 だが、猛々しく粗野な印象がまったくないため、『男だよな?』と。 確認を取るのと同時に首を傾げてしまうような、そんな顔立ちをしていたのだ。 白い手がそれよりも白い頬に触れる様はどこか倒錯的だったが、当人達二人にその気などな いから、それを見ていた伊吹の目にはただのじゃれ合いとしか映らない。 「あの絹糸のような黒髪は、真冬の月のような灰青色の瞳はどこです!?」 「…………あのですね、神官長」 凌駕は自分の顔に添えられていた手を外し、剣呑な光を宿した目を、急に嘆き始めた神官長 に向けた。 「今は追われている身なんです。これくらい当然でしょう?」 我に返った神官長は、納得していたはずのことを蒸し返してしまった自分の幼稚さを恥じ、 消え入りそうな声で気まずそうに、『申し訳ございません』と謝罪した。 それでもやっぱり不満なものは不満らしく、凌駕の目と髪を交互に見ながら仰々しい溜息を つく。 そんな神官長の毎度の様子に。 どうして同じ男の顔にここまで固執するんだ、と。 自分に関しての審美眼が正常に作動していない凌駕には、それが不思議に思えてならなかっ た。 だから自然と、毎度のごとく騒ぎ立てる神官長に掛けられた声は刺々しくなる。 「それで、緊急事態とはなんのことですか」 「あの方が―――――閣下がいらっしゃいます」 閣下。 その単語を聞いたとたん、凌駕はせっかく拾った本をまたしても盛大に落としてしまった。 「閣下、だって…………?」 発汗機能が壊れてしまったかのように冷や汗がだらだらと流れるが、そのくせ顔面は蒼白。 激しく脈打つ心臓は痛いほどで、なぜか異常なまでに咽が渇いた。 そのせいかどうかは定かではないが、少しだけ声が裏返ってしまう。 「閣下って、え、なんで?信仰心の欠片もないような奴が、なんでこんなトコに――――― まさか!?」 「いえ、殿下の居場所が露見したという訳ではないようなのです」 「じゃあどういうことだよ!?」 「私にはわかりかねます。閣下の書状には、神殿を訪問する旨しか記されていませんでした から」 凌駕は呆然とし、伊吹と顔を見合わせた。 そんな凌駕に、神官長が問う。 「すぐに立たれますか?」 「それはどうだろう」 それを遮ったのは伊吹。 伊吹は凌駕の肩に両手を置き、ひたすら真摯な眼差しを向ける。 「凌駕君、いい?今、神殿に籍を置いている神官見習生が退学するのでもなく突然姿を消し たら、大騒ぎになると思うんだ。神官見習生は、たとえランクをつけられていても国の宝。 それこそ、すぐさま捜索の手が伸びる…………それじゃあマズイでしょ?」 そう言われても、凌駕はなんとも言えなかった。 けしてその意見に反論する訳ではなく、かと言って肯定する訳でもなく。 ただただ、その恐ろしい現実に呆然としていたのだ。 「凌駕君?凌駕君、ちょっと凌駕君ったら!」 大きく肩を揺さぶられても、なんの反応も返せない。 「アイツが―――――朔夜が、ここにくる…………?」 それは凌駕にとって、死刑宣告をされたも同然の衝撃であったのだ。 <<NOVELNEXT>>
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