最初の指示通り拡声器のスイッチを切ったグレタは、台本と共に『ユーリ説得用』のそれら
をコンラッドの手の中に押し返した。

見事任務を遂行したという達成感と清々しさ。

それと、『本当にこれで良かったのか』という不安が綿密に絡み合ったような、なんとも言え
ない顔をしたグレタの頭に、コンラッドは弾むような軽さで手を置く。


「充分だよ。少し待ってみようか。きっとユーリは出てくるはずだから」


そう言って、コンラッドはそっと扉の向こう側の様子を伺った。







魅惑の魔王陛下〜コンラート編・後編〜
当代魔王陛下のご落胤―――――グレタ姫による、ユーリの良心と親心に切実に訴えるよう な呼び掛け。 そのわずか数分間で、室内の状況は劇的に変わりつつあった。 「やってくれる…………」 村田は苦笑し、それに続いて大仰に嘆息した。 つい先程、自分も確かに頑ななユーリを説得するためにグレタを引き合いに出しはしたが、 さすがに実物をどうこうする気にはならなかったというのに。 好青年を装った腹黒男は、いとも簡単に取引きの場に持ち出してきたのだ。 可能性としては考えうることだったが、村田自身予想だにしなかった。 まぁ、それもコンラート本人だけではなくグレタの意思も混ざっているということは容易に 想像できるから非難するつもりはないが、まずいことになったのは確かである。 何しろ、向こう側にはユーリの愛娘の実物がいて、今まさに何かを訴えようとしているのだ から。 ちらりとユーリを見ると、ユーリは声にならない声でグレタの名を呼び、見えもしない扉の 向こう側を凝視していた。 つい先程、村田がグレタをネタにしたばかりだから、ユーリの心の傷はいまだ治癒されてい ないままらしい(笑) 「う〜ん、これは本格的にまずいな…………」 村田は冗談ではなく本気で唸った。 しかし、たとえ非常時であっても、彼の優秀な脳は今すべきことを正確に理解している。 何よりも今優先すべきことは、勝手な行動を起こさないようにするため、ユーリを確保する ことだ。 「ほら渋谷、立って。寝室に行っててくれる?」 「え?で、でも、グレタが俺に何か言おうと」 「いいから!」 渋るユーリの腕を取って立たせ、その背をとんと押し、村田はユーリをヴォルフラムへと手 渡した。 「フォンビーレフェルト卿、しばらくユーリと避難していてほしい。あちら側にはおそらく ウェラー卿がいる」 「なんだって?」 勢い良く跳ね上がる、片眉。 「どうしてもという状況になったら、グレタのためにも渋谷のためにも、グレタをこちら側 に引き入れる。だけどね、いくら面白いもの好きの僕でもウェラー卿は賛成できないよ」 それこそ、シャレにならなくなる。 「君達がそれでいいなら、僕はいっこうに構わないけどね。そもそも、僕は渋谷が『誰にも バレたくない』と泣いて縋ってきたからこうしているだけだし」 「冗談じゃないっ」 「そう、冗談じゃないんだよ。どう、渋谷?」 この面子の中では唯一自分と同じ色彩を持っている村田に真摯な態度で尋ねられたユーリは、 心ここにあらずといった顔をみるみるうちに青くし、首を激しく左右に振った。 そんな表情もいいなぁー、と。 ユーリ以外の三人が思ったことを、ユーリは知らない。 「わかった、答は変わらないね。じゃあ、フォンビーレフェルト卿、あとはよろしく。あ、 二人きりだからって渋谷に手を出したら絞め殺すよ?」 『優等生』に大きな夢を持っているマダム達の心を鷲掴みにするような、そんな笑み。 ヴォルフラムは顔を赤くし、怒りに任せて怒鳴った。 「見くびるな!誰がそんなことを」 「あぁ、知ってるよ。君はそんな卑怯な真似はしないよね」 わかっている。 ヴォルフラムという少年は、やるとしたら堂々と真正面から乗り込んでくる。 ピンク色のネグリジェ姿で、マイ枕を抱え。 顎先を少し上げて、傲岸不遜にこう言ってのけるのだ。 夜這いだ、と。 歓迎できる相手ではないのだが、姑息な手段を使わないとわかりきっているだけに、今だけ は安心してユーリを預けることができる。 『ほら、早く』と村田が急かすと、ヴォルフラムは何か言いたげだったが、緊張状態が長時 間続いている所為で極限にまで至っているユーリをそのままにしておけないとでも思ったの か、それ以上何も言わずに寝室に入って行った。 それを見送った村田は、短く息を吐き出した。 「さて、フォンカーベルニコフ卿、あなたは」 「発明品で対抗しますか?」 それはそれは邪悪な笑みに、村田は乾いた笑い声を上げた。 さすが毒女。 その壮絶な笑みには、村田でさえも戦慄を覚える程の力がある。 「謹んで遠慮しますよ。それより薬の完成を急いであげて下さい。あの姿になってから、僕 は渋谷の笑った顔を見ていないんです。僕の一番のお気に入りを、そろそろ返して頂かない と」 「せっかちですね―――――と言いたいところですが、今回のことは私にも責があります。 幸いあと少しのところまで来ましたので、一両日中にはなんとかしましょう」 「そうしてあげて下さい。あぁ、それにしても本当に面倒なことになってなぁ…………」 思わず、痒くもない頭を掻いてしまう。 その時、またしても拡声器越しのグレタの声が。 「あのね。グレタ、 ユーリに一つだけ言いたいことがあるの」 そうだ。 まだ、この子の呼び掛けは続いていたのだ。 グレタを味方につけた以上、もう結果は見えたものかもしれないが、どちらにしてもこちら 側は物事に対してどうしても受身にならざるをえないから、あちら側の出方を待つしかない。 「さぁて、渋谷の良心はどれだけ耐えられるかな?」 おそらくその時間が限りなく少ないであろうことを。 付き合いの長い村田は、経験上知っていた。 そわそわそわそわ。 「あれからグレタの声が聞こえないっ」 寝室の内壁に、まるでそこに吸盤があるかのようにへばりついて耳をすましていたユーリが、 『どう思う?』とヴォルフラムを振り返った。 コンラッドに知られることには抵抗があるが、やはりグレタのことは気に掛かるらしい。 無駄に大きなユーリのクローゼットを漁っていたヴォルフラムが、当たり前のように言う。 「アイツのことだ。こちらの反応を窺っているんだろう」 「そーなのか?よくわかんないけど」 そわそわそわそわ。 「…………一度意識し始めたら止まらないか?」 馬鹿にしたようなヴォルフラムの物言いにムッとしながらも、ユーリはこちらを振り返ろう ともしない元プリの青い背中を見詰めた。 「だって俺、自分のことばっかでグレタのこと全然考えてなくて…………とにかく今はグレ タに会いたいんだ。でも、こうして逃げ隠れすることしかできなくて俺は俺で情けないし、 罪悪感って言うかなんて言うか、とにかく申し訳なさで一杯でさ」 だから、会ってしっかりと抱き締めてやりたいのだ。 力一杯。 「お前にそれだけの覚悟があるなら、わざわざ僕に言わなくてもそうすればいいだろう」 「その通りなんデスが、どうもこう自分の中で決定打になるものがないっつーか…………」 「ふん、へなちょこめ」 「だからへなちょこ言うな!」 それでも、ヴォルフラムの言うことは正しいから、暴言に対する抗議はできてもそれ以上は できない。 故にいつものように喚いたユーリだったが、顔面に黒い物が落ちてきて声を上擦らせた。 「な、何!?」 目を白黒させて顔に被さった物を取ると、それは眞魔国製の学ランだった。 「…………ヴォルフ?」 きょとんとしたユーリが頭の上に疑問符を浮かべてヴォルフラムを見ると、ヴォルフラムは ユーリとわざと目を合わせないように視線を外していた。 目元が少しだけ赤いのは、照れているからだろうか。 「話が中断したからな。とりあえずそれを着ていろ」 「別にこのままでもいいのに。それにたぶん、キツイと思うし」 不本意だけど、それぐらい胸が膨らんじゃったから。 恥じらいも何もない台詞だが、それはそれで事実だった。 『絶対無理だって』と言いながらユーリが自分の胸を触ると、その様子を生で見てしまった ヴォルフラムは、激しくうろたえる。 『そう思うだろ?』と同意を求められても、困るだけだ。 何しろ、どんな答を返してもセクハラにしかならない。 「いいから着ろ!気休めかもしれないが、前が止められなくても袖を通すだけで違う!!」 「アレ、着けなくてもいいのか?」 「とりあえずだぞ!?」 「わ、わかったよ。ったく、相変わらず短気だなぁ〜」 ―――――とかなんとか言いつつも、ユーリは心の内で力強くガッツポーズだ。 待ちに待った勝利の瞬間。 勝利の女神はユーリに微笑んだのだ。 もともとユーリは学ランの上だけを脱いでいるような格好をしていたから、身体が女性化し ていても、そこにあまり違和感は感じない。 ちょっと違った視点から見れば、男の夢の一つが実現されていることに気付くことができる だろう。 知らず知らずのうちにその夢の実現に協力しているユーリが、いそいそと上着を着込んでい た、まさにその時。 「あのね。グレタ、 ユーリに一つだけ言いたいことがあるの」 再び聞こえてきた、愛娘の声。 「一つだけ言いたいこと?なんだろ」 ヴォルフラムと二人、肩を並べて静かに待っていると。 短い間を置き、グレタの切実な声が、ユーリの耳に飛び込んできた。 「ユーリがグレタのこと嫌いにな っても、グレタはユーリのことずっ と好きだから」 ユーリがグレタのこと嫌いになっても、グレタはユーリのことずっと好きだから。 ずっと好きだから。 嫌いになっても。 「―――――んなこと」 「ユーリ?」 肩を小刻みに揺らすユーリが、すっくと立ち上がる。 俯き気味の横顔に長い黒髪が掛かり、その表情は窺えないが。 今のいじらしいメッセージで、ユーリの中の何かが音を立てて壊れたらしい。 呆然とするヴォルフラムを置き去りにし、野球小僧ならではの脚力で一気に駆け抜ける。 「陛下!?」 「渋谷!!」 驚きの声も制止の声も、全部全部聞こえないフリをして。 目指すのは、血の繋がりはないけれど、我が娘であることに変わりはないグレタ姫の下。 秘密を守る最後の砦を突破して、視界に飛び込んできたグレタを力一杯抱き締める。 「―――――んな訳ないだろ!俺がグレタのこと嫌いだなんて、そんなこと!!」 「…………ユーリ?」 「グレタは俺の娘だ!娘のことを愛してない親なんているもんか!!」 「それ本当?」 「馬鹿だなぁ、嘘なんか言ってどうなるんだよっ」 グレタの顔が喜色に染まる。 「ユーリぃっ!!」 「グレタぁっ!!」 ひしと抱き合う親子。 端から見たらそれは実に感動的な光景だが、今は状況が異なる。 ユーリの柔らかい胸に顔を埋めるという大技を苦もなくやってのけたグレタが。 「それはそうと、ユーリ」 不思議そうな顔をして、ちょこんと首を傾げた。 「ユーリは、お父様じゃなくてお母様だったの?」 その一言に。 ユーリは完全に凝固し、油が効かなくなった機械のようにぎこちなさで、実はすぐ側にいた 長身の影を見上げた。 銀の虹彩を散らした目と漆黒の目が、バチリと合う。 「…………陛下?」 陛下って呼ぶな名付け親、と。 あまりの衝撃に、訂正することもできやしない。 「言っておくけど渋谷、感情で突っ走った君の行動の結果だからね?僕はちゃんと止めたよ」 「そ、そんな村田さんっ」 「…………なるほど、そういうことだったんですね」 はい、そういういことだったんです―――――などと、平然と頷けるはずがないではないか。 「こ、これは、その、あの…………べ、別にそういう趣味じゃなくて、そういう遊びでもな くてですねっ、ちょっと複雑な事情があってこんなことになっちゃったっていうか、確かに 自業自得なんだけど被害者でもある訳でっ、あ゛―もう見ないでぇ―――――ッ!!!」 両手で覆ったユーリ顔は、完熟トマトのように赤かった。 その上、同情してしまいそうな程の激しいどもりに、扉の外で腕を組み壁に背を預け、成り 行きを静観していた村田が、苦笑して両手を広げる。 「はいはい、渋谷〜。避難所はこっちだよ〜」 あまりの羞恥から泣く寸前まできてしまっていたユーリは、考えるまでもなく村田の胸に飛 び込む。 正統派美少年とその兄から容赦のない鋭い視線が突き刺さったが、村田は気付かないフリを した。 そもそも、こんなことでいちいち動じていたら、大賢者などやっていられない。 「二人とも、そんな恐い顔しないでくれるかな?僕は構わないけど、君達の大事な渋谷が恐 がる一方だよ」 その言葉に、ヴォルフラムとコンラッドは表情を和らげた。 しかし、それが村田のためではないということはまぎれもない事実である。 「渋谷、大丈夫かい?」 村田が必死に縋りつくユーリに声を掛けると、ユーリはか細い声で。 『大丈夫じゃないっ!…………けど、大丈夫』と。 よくわからない返事をした。 とりあえずのところはそれで満足した村田は、困惑している親友の娘に室内に笑い掛けた。 「ごめんよ、グレタ。渋谷に代わって謝るよ。こういう事情があったんだ」 「…………ユーリ、病気じゃないよね?」 「うん、本人は至って元気だよ。ただちょっと精神的にキテるみたいだけどね」 彼のせいで、とは言わない。 「じゃあ、本当に大丈夫なの?」 「う〜ん、それはフォンカーベルニコフ卿に聞いて貰わないと。とにかく、いつまでもここ にいても仕方ないから部屋に入ろうか。渋谷とゆっくりするといいよ」 「わぁ、ありがとう!村田君!!」 「どういたしまして。ほら、渋谷。大丈夫ならシャキッとする。娘の目の前でいつまでもそ んな醜態晒してていいの?」 「…………よくない」 小さく唸ったユーリが戸惑いがちにグレタを見ると、この時初めてまともに顔を合わせた二 人は笑った。 ようやく落ち着きを取り戻したユーリに、グレタがパッと飛びつく。 「グレタ、行くか?」 「うん!グレタね、ユーリに話したいことたくさんあるの!!」 「じゃあ、時間掛けてたくさん聞かせてくれよ」 「あ、でもお勉強…………」 しゅんとしたグレタの手を強く握り、ユーリは『そんなのいーよ』と。 あまり親らしくないことを言った。 今日はお休みの日です。 「やったぁ!ユーリ大好き!!」 ユーリを手の引いて室内に入ろうとしたグレタが、何かを思い出したかのようにヴォルフラ ムを見る。 『ヴォルフも!』と、空いた方の手をヴォルフラムに差し出した。 両親に挟まれて、尚且つその二人と手を繋ぎたいという子供らしくも可愛い娘の要求を断れ るはずもなく。 指名されたヴォルフラムはちらりとコンラッドを一瞥したが、『…………あぁ』と短く返事を して、三人一緒になって室内へと入って行った。 残されたのは、村田とコンラッドの二人だ。 村田はすぅっと細めた目で、なんとも言えない複雑な感情をその目に宿したコンラッドを見 た。 「…………まったく、ユーリが関わってくると君も手段を選ばないね。僕の保護も無駄、君 の勝ちだよ。満足かい?」 「満足と言えばそうですが、ユーリに避けられているのは堪えましたね」 恥ずかしがっているだけだよ、とは言ってやらない。 「渋谷にもいろいろ思うところがあるさ。それで、どうするんだい?」 「どうするとは?」 「時間としてはあと少しになるだろうけど、君もこの立て篭もりイベントに参加するかとい うことだよ。一度知られてしまった以上、往生際悪くユーリが君から逃げるなんてことは(も のすごく憎たらしいけど)ないだろうからね。これ以上の漏洩を防ぐためにも、当然ウェラ ー卿には緘口令が下る訳だし。だから、どうする?」 村田の本音としては、コンラッドの加入は正直どうだっていいのだが。 ここまで言われたコンラッドが、あの状態のユーリを見て、我関せずの態度をとるはずがな いのだ。 それに、加入することを前提として考えても、下手な刺激をしてユーリの機嫌を損ねるなど という愚行を、この男がするとも思えない。 一度や二度や三度や四度の『上手な刺激』は、ユーリではなく自分が目を光らせていればど うにでもなる。 できることなら、やっぱりコンラッドは遠慮願いたいところだが、今となってはすでに手遅 れである。 そんな村田の心情を知ってか知らずか、コンラッドは実に腹黒い笑みを浮かべた。 「もちろん、参加させて頂きます」 村田は肩を竦める。 ほらね。 こうなると思った。 END †††††後書き††††† さ、三月以来ですかね…………?最近はずっとナルトの方に集中していたので、時々掲示板 やウェブ拍手の感想を見る度に、半端じゃない後ろめたさと戦っていました。ある程度目処 をつけてやらないと自分の首を締めるだけだと今頃気付きましたよ、いやホントに(遅っ) 次でユー子ちゃんが元に戻る予定です。そしてこの連載さえも終わっていないというのに、 サラユーを書きたくなってきたのは、やっぱ撲殺ものですよね! あ、シンデレラ異聞…………。 back NOVEL next
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