十八歳の彼 十二歳の僕 ‐8‐

ナルト(大)が帰宅したのは、夕刻を少し回ってからのことだった。 広いとは言えない室内はしんと静まり返り、物音一つしない。 電気ぐらいはついていても良さそうなものだったが、大きな窓から日没直前の最後の光が差し込んでいる だけだ。 そこに帰宅しているはずのナルトの姿はなく、気配さえも感じられなかった。 あまりの不自然さに眉を寄せたナルト(大)は、無言で住み慣れた我が家を見回した。 「なんかイイ匂い……夕飯?」 暗がりでよく見えないが、コンロの上に置きっぱなしになっていた鍋の中には肉じゃがらしきものが入っ ていて、続いて隣の鍋の中を見ると、わかめと豆腐の味噌汁。 炊飯器の中には炊き立てらしい白米があり、おまけに、すでに焼き上がった鮭の切り身が皿に盛られてい た。 完璧なる和食だ。 食事と言ってもインスタント食品と冷凍食品を駆使した料理しか食べさせていなかったものだから、呆れ て作ってくれたのかもしれない。 見るからに器用そうな子供が不機嫌な顔をしながら台所に立って料理をしている様子を想像すると、何や ら微笑ましい気分になる。 行儀が悪いと思いつつ、おたまから直接一口分の味噌汁を飲んでみると、それは予想以上の出来だった。 下手をしたら、そこらの料亭などより良い味を出しているのではないだろうか。 「美味しい…………」 なのに、気分が沈む。 憧れていた同班の少女に無下に扱われた時よりも、はるかに。 ナルト(大)は気を取り直すように、ナルトを呼んだ。 「…………チビ?」 応える声はない。 まさか本当にいないのかと思いつつ室内の電気をつけると、探していた人物は自分のベッドの上にいた。 日が当たらないような隅で身体を丸め、寝息さえも洩らさずに。 気配を消して極力物音を立てないように近づくと、年相応な寝顔が目に入る。 さすがにあの悲惨な格好は嫌だったのか、箪笥の中に入れてあったはずのTシャツを着ていた。 自分とて同僚に比べれば大柄とは言えない体格だというのに、それでも余る布地がナルトがどれだけ華奢 なのかを物語っている。 シャワーを浴びた後らしく、髪の毛は水気を含み湿っていた。 「風邪引いても知らないってばよ…………?」 当然、応える声などないと思っていた。 だが。 「この器は、そこまでやわにできてはおらぬ」 「!?」 ナルトと同じ声。 しかし、自分と同じ『だってばよ』口調とも普段のナルトの口調とも違う古めかしいソレに、ナルト(大) はすぐさま身を退いた。 『コレ』はナルト本人ではない。 自分はナルトのことなど何一つ知らないに等しいが、少なくとも自分のことを『器』などと言わないはず だ。 目蓋の奥にあるのは深い青色のはずで、血よりも尚鮮やかな赤色ではなかった。 これではまるで、ナルトの中の別人格が表に出てきたみたいだ。 「ほぅ……同じ器の身でありながら、我のことがわからぬか」 「そ、そういうこと言うってことは、まさか九尾だってば?」 「名を知っただろう。今だけ名を呼ぶ権利をくれてやる故、名を呼ぶがいい。我は確かに『九尾』だが、 それは種族名にすぎぬからな」 ゆっくりと身を起こしたナルト―――――いや、九尾『九重』は、ナルト(大)をひたと見据え、面白そ うに笑った。 赤い目の中にある瞳孔が収縮する様が、獲物に狙いを定めた捕食者のようだ。 埋まりはしない圧倒的な力の差は、必ずしも二人が同じ場所に立っている訳ではないということである。 「主、よもや我の手にこの器が落ちたと考えているのではあるまいな?」 図星だった。 「…………違うんだってば?」 「ふん、コレを完全に押さえ込むのは不可能だ。四代目火影が施した封印は予想以上に頑強、封印を解く ことができぬのならば、内から操ってしまえばいいだけの話。だが、現実はそう甘くないな。コレが寝て いる時、しかもほんのわずかな時間しか表に出ることはかなわぬ……人間の割には具合が良い故、余計に 口惜しいことにな。まぁ、そもそも」 我はコレを陥れようとは微塵も思うておらぬが? 慈愛に満ちた表情でナルトの胸に手を当てる光景を見ると、何やら危ない世界に足を踏み入れてしまった ような錯覚に陥ってしまう。 「そこで勘違いするでないぞ?我はコレのことを厭うてはおらぬが、好いてはおらぬ。コレの存在さえな ければ、我はこのような窮屈な思いをせずに済んだ―――――たかが人間などに封じられる屈辱を味わわ ずに済んだのだ」 「…………なら、なんだってソイツに構うんだってばよ」 「性格自体は両極端だが、人間にしては面白い精神構造をしているからな。この身体の血も肉も人間の範 疇から出ることはないというのに、我等と同じ匂いがする…………これほど面白いことがあるか。コレと の腹の探り合いは、獲物を狩る時よりよほど楽しいぞ」 お言葉通り、心底楽しそうな声音。 九重は明らかに萎縮しているナルト(大)に顔を近づけ、微笑した。 「―――――その楽しみを、主の中の我は十二年もの間知らずにいたのだろうな?」 そのとたん、ナルト(大)の腹部が急激に熱を持ち始めた。 焼け付くような痛みではなく、何もせずとも燻り続けるようなジクジクとした痛みを伴う熱。 うろたえたナルト(大)の様子に目聡く気付いた九重が、声を上げて笑った。 「なんとまぁ、奴が我に抗議しておるぞ!可笑しや可笑しや、己にできぬからといって我に嫉妬などと勘 違いも甚だしい。悔しかったら我のように表に出ればよかろう、我は逃げも隠れもせぬ」 「ちょ、煽るなってば……痛っ!」 「乗っ取られたくなければ、精々気を張ることだな。隙さえなければ手出しは一切できぬ」 自分で煽っておいて、これですか。 無責任すぎる九重の言動に少量の怒りが生まれたが、その怒りが実際に口にされることはない。 余計なことに気を取られ、腹の中で暴れている九尾を放置しておくことはできなかったのだ。 他の誰でもない、実際に被害を受けている自分自身のために。 「お前、なんのために表に出て来たんだってば…………っ」 「そんなこと決まっているだろう」 偉そうに足を組んだ九重が、体内の反乱をどうにか鎮圧しようと試みているナルト(大)を一瞥し、さも 当然のことのように。 「ほんの気まぐれだ。五代目とやらの忠告を、我からも念押ししておこうと思っただけにすぎぬ。コレを あまり乱してくれるな、とな。荒れに荒れると我でさえも手に負えなくなるのだ。いくら忍としての能力 が高かろうと、何せまだ頑是無い子供故」 頑是無い子供。 その単語に、ナルト(大)は渋い顔をする。 「…………俺なんかより、ずっと大人みたいだってばよ?」 「だが、子供には違いない。欲しいモノを『欲しい』と言葉にすることも知らないような、基本的なもの が欠落した愚かな子供なのだ」 『それでも最近は随分とマシになってきたようだが』と言った九重は、里人に『伝説の大妖』と呼ばれ、 恐れられていたは存在とは思えないほど穏やかな顔をしていた。 妖の類は自分本位で残酷だと聞いていたが、口ではどう言っていてもどうやらナルトを気に入っているら しい九重と話していると、実はその認識が間違っているものだと思えてきてならない。 それほど、九重はナルトに『ただの器』以外の感情を抱いているようだった。 封じる者と封じられる者。 歪んだ感情が交差する関係かもしれないが、少なくとも、自分と自分の腹の中にいるモノにはない絆があ るように感じられた。 いまだに暴れ続けていた体内の妖を捻じ伏せることに成功したナルト(大)は、腹部の熱源が徐々に力を 失っていくのを実感し、安堵の息を洩らす。 その一挙一動を見逃すまいと視線を外そうとしない九重を、戸惑いがちに見返した。 「…………別に俺は、チビに危害を加えようだなんて思ってないってばよ。ただ、火影になるのは俺の意 思であって誰に強制されたものでもないから、それだけはわかってほしいんだってば。チビは、なんて言 うか……こんなこと言ったら怒るかもしれないけど酷い目に遭ってきたみたいだし、やっぱり俺とは根本 的に考え方が違うのかもしれない。でも俺は、俺を認めてくれる人の数がどんなに少なくても素直に守り たいと思ったんだ。幸いかどうかはよくわからないけど、今回は極一部が騒いでるだけで、皆俺のことを 応援してくれてる…………それに応えたいって思うのは変じゃないよな?」 九重は澄ました顔で両肩を竦め、『それで?』と続きを促した。 「すぐにはわかってもらえないかもしれない。それどころか、わかってもらえる時は来ないかもしれない。 それでも俺は、十八年前の乱で四代目や他の人達が命懸けで守った里を守り続けたいんだってば。『九尾の 器』としてだけじゃなくて、『火影』っていう立場としても―――――……そう思うことは、えっと、九重 さんは傲慢だって笑う?」 「笑ってやろうではないか。主は傲慢だ」 たちまち表情を硬化させたナルト(大)に、九重が再び『傲慢だ』と言った。 「我は九尾―――――里を襲い、壊滅させようとした妖狐ぞ?主は、己の発言がいかに危険なものであっ たかを自覚するべきだな。我がこの世界に属しておらず、あくまで無関係だと割り切っているからこそ、 主は今もこうして我と向き合っていられるのだ」 そうでなければ殺していた、と。  サラリと言ってのけた九重を前にして、ナルト(大)は今更ながらに身震いした。  忘れていた。  いや、実際には忘れていた訳ではなく意識が足りなかったのだが、どちらにしても同じことだろう。  確かに、今の発言は不適切だったかもしれない。   「まだあるぞ。主の意志は承知したが、それは真実、我に言うべき言葉だったかよく考えてみろ。主がコ レをどう思おうと我の知ったことではない。胸の内に秘めた主の志も無論…………だが、相手が違うだろ う?」   「あ…………」 「向き合わねばならぬ相手ではなく手近にあるモノで己の心の安寧を保とうなどと、正気の沙汰とは思え ぬな。コレと我を同時に侮ったと受け取るが、よいか?」 「すみません、果てしなくよくないです!」 救いを求めて縋り付く者の手を、容赦なく振り払うかのような言動。 本人さえ自覚していないような甘えさえも瞬時に見抜き、けっしてそれを良しとしない。 当然だ。 九尾は神でも仏でもなく、自分の本能と欲望に忠実に生きる、列記とした妖なのだから。 ナルト(大)が、九重が支配しているナルトの身体から静かに流れ出ている怒気から背を向けて逃げたく なるのを堪えつつ、もう一度謝ろうとすると。 不機嫌なのを隠しもせず、ベッドの上にどっしりと構えていた九重が、ふいにナルト(大)から視線を外 した。 「もう限界か…………」 「は?限界??」 「…………やれやれ、相も変わらず強靭な精神なことよ。少し突付けば呆気なく崩れるほど脆いというの に、忌々しいことだ」 「顔と科白が合ってないってばよ?なんで笑って……―――――って、おい!」 なんの前触れもなく、突如として傾いたナルトの身体。 それを支えようと伸ばした腕の中に、華奢な身体が倒れ込んでくる。 俯いているため表情は見えず、重力に従って落ちた金髪で余計様子がわからない。 小さく息を詰める音だけがナルト(大)の耳に届き、自分の胸をちゃんとした力が込められた手の平で押 し返して顔を上げた、彼の目は。 「―――――んのクソ狐、また人様の身体乗っ取りやがって!」 硝子玉のように透き通った。不純物など一切ない綺麗な青。 「…………チビか?」 「あーそーだよ!ったく、すぐに気付いて抵抗したってのに三分も居座りやがって、おかげで寝起きが最 悪じゃねぇか!どーしてくれんだよ!?」 「お、俺に言われたって、そればっかりは俺のせいじゃないってば!」 「んなことわかってるさ!」 憤慨するナルトから放たれる苛烈な怒気は強く身を竦ませるものではあるけれど、先ほどまでその身体の 支配権を握っていた大妖のものとはまったく異なる質で、ナルト(大)はほっとした。 その様子を見たナルトが怒鳴り散らすのを止め、訝しげにナルト(大)を見る。 「何」 「なんでもない、チビだなーって思っただけだってばよ」 「…………最近暑かったから、脳ミソ身溶けちゃったか。可哀想に、もともと不自由な頭が更に不自由に …………」 「溶けてない、溶けてないから!ただ、直前まで九重さんに虐められてたと言うかなんと言うか……いや、 俺にも原因があるから一方的に被害者面するのもどうかと思うけど、やっぱり虐められてたから安心した んだってば」 数回瞬きを繰り返したナルトは、納得した顔で『あぁ』と短く声を上げた。 「確かに虐められてたな―――――っつーか、アイツ俺のこと好き勝手言ってただろ」 「なんで知ってるんだってばよ」 「押さえ付けられてても、外の会話は丸聞こえなんでね。だから……そうだな、アイツに一蹴されたアン タの意気込みも聞かせてもらった」 「き、聞いてたんだ…………」 九重には平気な顔をして言ったくせに、ナルトに聞かれていたと知ると心なしか顔を青くしてうろたえる ナルト(大)に、ナルトはわずかに目を細め、笑う。 「悪いけど、やっぱ理解できねぇや。大切な人を守りたいって気持ちは、まぁわからないでもない。俺だ って、俺を受け入れてくれた人間は大切だって思うしな。けど、俺はトラブルに愛される人間らしくて… …いつも身の回りで何かしら起きるし、大抵が命に関わるような危ないことだから巻き込みたくねぇんだ。 表舞台に出たら、今以上にそーゆーことが多くなる。だったら俺は、まだ自由が利く裏にいた方が良い。 その方が都合が良いし、何より性に合ってる」 「チビ…………」 「…………ココとアッチが違うってことはわかってても、どーしよーもねぇ時があんの。アンタは、たぶ ん悪くねぇから気にすんな。それ以前に、もともと俺はココの住人じゃねぇからさ」 気まずそうに目を合わせたナルトが口にしたのは、冷静になってよくよく考えたら、至極当然である事実。 「アンタが何をしようと何を選ぼうと、口出しする権利、なかったんだよな〜って思って…………」 心臓にグサグサと突き刺さるような毒舌ではなく、常に偉そうで高圧的な態度をとるナルトにしては酷く 恐縮しているような言葉。 それがどれだけスゴイことなのか。 共にいる時間がほんのわずかでも、その様子が天然記念物並みに珍しいということを重々承知していたナ ルト(大)は、新鮮さを感じるよりも何よりも先に笑ってしまった。 もちろん、笑いすぎたせいでせっかく大人しかったナルトに噛み付かれるのは遠慮願いたいため、引き際 は心得ている。 「いや、火影になりたいって気持ちは変わらないけど、安易に考えすぎてたトコロがあるから参考になっ たってばよ。それと、コッチこそごめんってば。俺と間違われないように、これから外出する時は変化し てくれると助かるんだけど」 いくら同じ『うずまきナルト』であっても別人である以上、本来ならば向けられる必要のない感情を向け られ、一方的に責め立てられるのは理不尽すぎる。 そんな意味での言葉だったのだが、それに対するナルトの答は少々変わっていた。 「ん、それは俺も思った。今日あの後、家の金勝手に持ち出して商店街に買い物に行ったらさ、あの格好 のままだったの忘れててスッゲェ騒ぎになっちまったんだよね。あんな調子じゃ明日には里中に噂が広が って、薬やら何やらたくさん届くかも」 それぐらい半端じゃない反応だった、と。 慣れない―――――と言うよりは生理的に受け付けない状況に戸惑うことしかできなかったらしいナルト に、ナルト(大)は苦笑いを返した。 「ありえるなぁー…………でもまぁ、その時はその時だってばよ」 本当の兄弟のように、一緒に笑い合う。 口も悪いし、態度もデカイ。 どうやら忍としても最高ランクの実力を持つらしいし、同じ妖を宿す自分が言うのもなんだが、かなり人 間離れしている感は否めないけれど。 他人にも自分にも厳しくて、本当は優しい子供だ。 自分が今幸せだからというつもりではないが、それでもやっぱりもう一人の自分にも幸せであってほしい と願うのは。 九重の言う、『傲慢』なのだろうか。   企画部屋  
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