例えば、この男臭さの欠片もないような顔なんかじゃ。
夢見る彼女達の目には異性としてではなく、愛玩生物ぐらいにしか映らなくて。
別に恋人を作って人並みの青春を謳歌したいだなんて考えている訳じゃないけれど。
やっぱりこれは、違うと思うんです。
―――――それをアイツはっ。
男を挑発する時は
日向一族宗家の本邸、茶室にて。
一族特有の紫がかった乳白色の瞳を静かに伏せ、風に吹かれる柳のような彼の人は言った。
「ナルトさん、何かわたくしに話すことがあるでしょう」
その瞳は悲しげに揺れていて、ともすればはらはらと涙を零しそうである。
実年齢よりも確実に若く見える外見は幼馴染である少女をそのまま成長させたと言っても過言ではなく、
しかし、容姿が酷似しているはずの少女よりも更に儚げで今にも倒れてしまうのではないかと危惧してしまうような様は、
ナルトを目に見えて動揺させた。
「あ、あの、アヤメ様…………?」
「全然知りませんでしたのよ?ナルトさんがしようとしていることをアノ人から聞いた時、
わたくしただただもう驚くことしかできなくて…………あぁ、四代目になんと申し開きをしたらいいかわかりませんわ。
あの方々の大切な預かり子ですのに、あのような世界に足を踏み入れるのを黙って見ているところだっただなんて、わたくし、わたくし」
そう言って、ヒナタとハナビという二人の娘の母親であるアヤメは、上質の絹でできた着物の袖口で目元をそっと拭った。
涙を流しているかどうかは定かではないが、ナルトの良心を容赦なくグサグサと攻撃していることだけは確かである。
『母性』の代名詞であるこの女性に、ナルトはめっぽう弱いのだ。
そしてそれはアヤメだけでなく、日向の当主であるヒアシにしても同じことが言える。
木の葉では、十五歳未満の子供には必ず保護者がついていなくてはならない。
一般的な意味としての『保護者』とは、ほぼ例外なく子供の血縁ということになっているが、
孤児となった子供の場合は里長がその役目を担うことになっている。
『孤児となった子供が自立できるような年齢に達するまで生活を援助する』という制度があるのだ。
本来ならば十二年前の九尾の乱で実母と実父である四代目火影を亡くしてしまったナルトは、
この制度にのっとって里からの保護を得られるはずなのだが、里の強硬な姿勢によりそれが実現することはなかった。
『火影』という立場上、表立ってナルト側に付くことができなかった三代目が『ならば』と練った策が、
権威ある旧家をナルトの後見役として擁立するということだ。
―――――と言ってもそれは公にはされず、ナルトの出自と共に、けして外に漏洩することはない。
幸いなことに、九尾の乱で一族の中から死者を出したものの、
旧家ならではの伝承で九尾の行為が理に適ったことだと理解している彼等は、封印の器となったナルトを敬いこそすれ、
憎悪の念を抱くことなどなかったのだ。
四代目とも親交が厚かったヒアシは特にその傾向が顕著で、そのヒアシに毒されたのか、
奥方であるアヤメもナルトのことを実の子供同様に大切にしてくれているのである。
やっかいになっている身の上としては申し訳なく思いつつも、心のどこかでそれを嬉しいと感じているナルトにとって、
この二人の存在はまさに、亡くしてしまった『両親』そのものだった。
そんなアヤメに泣かれて、平然としていられるはずもなく―――――。
ナルトは小首を傾げ、頭の中で思いつく限りの項目を上げてみる。
『忍』という職業を生業としていることに対して、反対されたことはない。
そもそも木の葉の全人口の約半数が忍で、その中でも日向一族はその血故に優秀な忍を多く輩出する名門であるから、
ヒアシは黙って、アヤメは微笑して承諾してくれたはずだ。
次に、表向き下忍でありながら夜は暗部の部隊長という二束の草鞋生活のことを考えた。
しかし、それも今に始まったことではなく、ネジも臨時暗部として似たような生活をしているのだから、今更としか思えない。
「何がどうなっているのかわかりませんが…………とりあえず、アヤメ様が言う『あのような世界』とはなんなんですか?」
「まぁ、知らないフリをなさるのね!」
知らないフリも何も、本当に何も知らない。
―――――というより、わからないのだ。
「今夜、色の任務に就くというではありませんかっ!」
「はい―――――って、どうして知ってるんですか、そんなこと」
一応、任務内容については黙秘の義務があるはずで。
それなのにアヤメ、いやヒアシはなぜ知っているのだろうか?
それが里随一の旧家に与えられた特権だとしても、
あっさりと情報を洩らしてしまう里の中枢部には幻滅してしまうし(もともと期待はしていないが)、
その情報をあらゆる手段を使って手に入れたヒアシがすごいのだとしても、それはそれで複雑なものがある。
「わたくしはね、ナルトさん。怒ってるんですのよ」
まだバレてはいないようだが、実はそれなりに数をこなしていると知ったら。
この綺麗な人は一体なんと言うのだろう。
居た堪れなくなってナルトがあらぬ方向に視線を放り投げると、アヤメは袖口から白魚のような手を出し、さりげなく二回打ってみせた。
張りのある音がその場に響くと、襖を引いて現れたのは数人の女中。
ふんわりと、アヤメは花開くように笑う。
「そんなに面白そうなこと、前々からわかっていたのならどうしてわたくしに教えてくださらなかったんですの?」
そっちか!
ナルトは軽い眩暈を覚え、額を押さえた。
その直後に新緑の着物に身を包んだ妙齢の女中達に揉みくちゃにされ、まともな思考能力を放棄してしまう。
時には、成り行き任せにした方が楽なことだってある。
襖を開ければ、そこは別世界でした。
今では余程の旧家でなければ見ることも叶わなくなった、『御帳台』と呼ばれる木枠を品の良い布で覆ったテントのような寝台の中で、
煌びやかな世界が繰り広げられている。
容姿が整った女中を周囲にはべらし、見事な金色の髪をきつく結い上げてその白くて細い項を露わにした美女は、
肘掛にだらりと半身を預け、突然の呼び出しで室内に入ってきたアヤメの娘達と甥っ子の姿を見て、檜扇をパチリと閉じた。
「よ、いらっしゃい」
別世界に。
外見とのギャップに激しい違和感を覚える口調で、彼女は言った。
萌黄色と茜色と薄紅色の袿を重ね、更にその上に大輪の牡丹をあしらった豪華な赤い表着を身に纏った金髪碧眼の美女だ。
デザインの異なった銀細工造りの玉の簪を高く結い上げた髪に何本も刺し、
豊満な胸元を惜しげもなく晒した彼女―――――ナルトは、半眼になって笑みを浮かべる。
ふっくらとした形の良い唇にすっと引かれた紅は赤く、艶やかだった。
女中の一人が、ナルトにしな垂れ掛かりながら細い筒状の物を差し出す。
「姐さん、煙管を」
「あぁ、ありがと」
たいして興味がなさそうに振る舞いながらも差し出された煙管を受け取ったナルトは、細く長い指先で煙管をくるりと回し、
半場呆然としている三人を手招きした。
「いろいろと疑問はあるだろうけどさ、とりあえず座れば?」
「そうですよ、三人とも。いつまでもそんな所に立っていないで、もっとこちらに来なさいな」
揃って顔を見合わせた三人は、アヤメの指示に従い、まじまじとナルトを見詰めながら正座した。
何を言っていいのかわからない、そんな顔をしている。
しかし、それでもヒナタとハナビは心なしか恍惚とした表情で見惚れているように見えた。
ナルトなら、男であろうと女であろうと構わないらしい。
確かに似合う。
元のパーツは変わらず、性別が変わって年齢が倍近くになっただけなのに、ここまでのものになるとはネジも予想だにしなかった。
―――――というか、そんな予想自体立てたことないのだが。
アヤメが得意気に微笑する。
「どうです?」
「ナルト君、すごく綺麗…………」
「まさしく『姐さん』ですね。ナルトさん、それって新しい遊びですか?私も混ざりたいですっ」
「…………それよりも、なぜこういう事態になっているのかお教え願いたいものですが?」
上から順に、ヒナタ、ハナビ、ネジである。
それに対してのナルトの返答はたった一言だった。
「遊ばれた」
それだけでナルトに何があったのか悟った三人は、即座にアヤメに視線を集中させる。
アヤメは頬に手を当て、恥らう乙女のように俯いた。
「だ、だって、ナルトさんが遊郭に潜入すると聞いたものですから…………」
だから、そういう風なシチュエーションを作り、そういう風に着飾ったナルトで、そういう雰囲気を楽しみたかったのだと。
つまりは、そういうことらしい。
ネジはナルトに一瞥をやり、皮肉気に笑った。
「俺はまた、ついにお前が女装癖に目覚めたのかと思ったぞ」
「へぇ〜言うようになったじゃないか」
『絶対ありえねぇ』と咽の奥で笑ったナルトは、落胆の色を隠しもせず不満の声を上げる女中を引き剥がし、すっくと立ち上がった。
見事な裾捌きを披露してネジの前までくると、艶然とした笑みを浮かべ、ネジの首に腕を絡める。
「この俺に、お前が、そういうこと言うのか?」
『俺が好き好んでこんな格好してるとでも?』とド迫力の美貌で迫られ、
ネジは一瞬、自分の発言がいかに危険なものだったかを思い知った。
しかし、音にしてしまった言葉は取り消すことはできず、取り消させてくださいと土下座をしても許されるはずもなく、
さり気なさを装って圧迫されている頚椎にこめかみを引き攣らせることしかできない。
そもそも、ナルトとネジの関係は『幼馴染』。
本来対等である関係なのに、なぜここまで自分の行動と発言を制限されなければならないのか。
迫ってくるナルトには恐怖を覚えるが、虐げられている自分があまりにも可哀想に思えてくるのは気のせいだろうか。
そう思うと何かとてつもない理不尽さを感じ、ナルトに対してわずかながらの反抗心が芽生えた。
考えてみれば、その通りだ。
別にナルトの私兵でもあるまいし、ナルトが言うなら黒を白と言うような盲目さは求められてはいないのだ。
何を遠慮する必要がある。
「それがなんだ」
左右対称であったナルトの眉が、片方だけ跳ね上がる。
壮絶なまでに深められた笑みが直視できない。
怖くて。
「…………お兄さん、良い度胸じゃないか。そんなお兄さんに、あたしから贈り物だよ」
すっかり遊郭の売れっ子女郎に変貌を遂げたナルトは、ネジと自身の顔の距離に縮め。
―――――そして、周囲に衝撃が走った。
「「「―――――っ!!!」」」
時間にすればほんの数秒。
しっかりと重ねられた唇に、室内の女性陣全ての視線が集中する。
女中達が黄色い悲鳴を上げて互いの肩を叩き合う。
互いに目を開けたままのムードもへったくれもないキスだが、問題がそこにある訳ではなく、
男同士とかそういう問題でもなく(多少はあるかもしれないが、所詮多少だ)、
問題なのは、目の前の少年のことを常に最優先事項と掲げるヒナタ達母子の目の前で、
その行為が為されたということだ。
特に娘達の方なんか、目の色を変えてくれちゃっている。
ゆっくりと唇を離したナルトはさっさと変化を解いてしまい、
緩んでいる襟の合わせを慣れた手付きで直した。
楽しそうに細められた目は、その実なんの感情も宿してはいない。
「お前、たった今敵ができたから。そこんとこよろしく」
更に。
『紅が付いてるぞ。やーらしい奴っ』と、付けなくてもいい余計な煽りまで。
恐る恐る従姉妹達に視線を移すと、彼女達はすでに白眼の力を解放していた。
「ネジ兄さん、お話があります」
「私も」
「まぁ、奇遇ですわね。実はわたくしも」
教訓。
生半可な覚悟で、ナルトを挑発してはいけません。
―――――挑発しようとする時は、もう一度命の尊さについて考えてみるといいかもしれない。
―END―
†††††後書き†††††
はい、『男(ナルト)を挑発する時は』です。別名『日向ネジ少年の受難シリーズ』。
あんなことやそんなことをされて、なぜネジが未だにナルトと付き合っているのかは書いた当人でも疑問ですが、
コミックス二十二巻を読んで再確認しました。
だった好きなんだもん、仕方ない☆きっとネジは、諦めの境地にいることでしょう。