里は再び、悪夢の中にいた。
鼻を突く死臭。
地を染める真っ赤な血。
ほんの少し前までは喧騒としていたはずの商店街の中央通りは、無人。
それどころか今では、もはや人の形を残してはいない単なる部品と成り果てたモノが回収さ
れることもなく放置されており、見る影もなかった。
至る所で高々と立ち上っている黒煙は太陽の光を遮断し、地上から空を見上げる者に、その
存在の有無しか伝えない。
それはつい先日のように思い出される木の葉崩しや九尾の乱を彷彿とさせるものであったが、
今回の騒ぎによる痛手がそれらより酷いのかそうでないのか、そんなくだらないことを考え
る輩は誰一人としていなかった。
「…………ナルト」
振り返ったナルトが、どこか焦点が合っていない険を含んだ青色を声の主に向けると。
そこに立っていたのは、ナルトよりも幾分か背の高い黒髪の少年。
紫がかった白濁色の瞳が、真っ直ぐにナルトを見詰めている。
四歳からの付き合いになる幼馴染の少年の見慣れた姿に、そこでようやく自分だけの世界に
断りもなく進入してきた無礼な人間がネジであると確認したナルトは、淡く微笑んだ。
「なぁんだ、ネジか」
安堵しているのか、落胆しているのか。
よくわからないような口調だが、それでもナルトは嬉しそうだ。
ネジはわずかに顔を歪め、感情を抑えるかのような声音でナルトに話し掛ける。
「随分な言い様だな。俺じゃ不満なのか」
「別に不満なんかないさ。俺、ネジ好きだもん。ただ―――――」
ナルトはネジから視線を外し、遥か遠くを見やった。
そこに何がある訳でもないのに、ナルトはある一点に向けた視線を外さない。
「今頃、何してるかなって思ってさ…………」
「行けばいい」
「ん?」
「俺達に構わず、あの人の下へと行けばいい。それがお前の望みなら、どんな手を使ってで
も叶えてやる」
「まぁたまたー」
ナルトは笑った。
「駄目だって、それ以上言ったら俺つけ上がるから。この状況でバックレるなんてできねぇよ。
ネジは俺を、里の奴等みたいな卑怯者にしてぇの?」
「この期に及んで何を言うのかと思えばソレか。お前はもう、三代目亡き後も充分すぎるほ
どこの里に貢献しただろう。サスケではあるまいし、今里を抜けたところで責め立てる人間
など俺達の中にはいない」
「だからだよ」
静かにネジへと視線を戻したナルトが穏やかな顔で、歌うように。
「皆甘いからね。『俺のために』って、命懸けでとんでもないことしよーとするから、やっぱ
俺がストッパーやらなきゃだろ?俺のために死なれるなんてヤダ、気ぃ重いじゃん??」
「まったく、お前は…………」
苦笑したネジは、脇に抱えていた黒い外套をナルトの頭に被せ、ナルトの細く白い手首を掴
んで歩き出した。
ずれ落ちた外套を押さえ、促されるまま簡単にそれを羽織ったナルトが訝しげにネジを見る。
「ネジ?」
「ここは目立つ。連中の格好の的にでもなってやるつもりだったのか?」
「んなつもりねぇけど…………」
「なら帰るぞ。あの人達に『連いて来るな』と言ったらしいな?お前の命令だから動けない
と、伊吹さんが騒いでいた」
「あの馬鹿、騒ぐようなことか」
「騒ぐようなことを平気でしているから、俺が迎えに来たんだ。今の状況がわかっていない
訳じゃないだろうに……それより、体調は?」
「まったく、顔を合わせる度にそれデスか。少しは別のこと話したら?」
「ナルト」
強く言われ、ナルトは口を噤んだ。
誤魔化されてくれる気は微塵もないらしい。
「…………心臓掴まれたみてぇに、すっげぇ苦しくなんの。痛くはねぇよ。けど、苦しすぎ
て息ができねぇ時があんだよね」
「ほら見ろ。綱手様が指の関節を鳴らしながら、首を長くして待ってるぞ」
「うわ、怖いなぁー」
怒鳴られるだけで済めばいいけど、と。
ぼやいたナルトはふいに表情をなくし、ネジに掴まれていた自分の手を引いて立ち止まった。
「ナルト?」
突然立ち止まったナルトに、何事かと声を掛けるネジ。
その直後に、地響きを伴った爆音が二人の耳に同時に届いた。
表情を引き締めたナルトが、舌打ち混じりに吐き捨てる。
「もう少し小康状態が続くかと思ってたけど、やっぱ動いたか。相変わらずセッカチなこと
で」
「そんな悠長なことを言っている場合か!ここじゃなんの情報も入って来ない、行くぞ!!
走れるな!?」
咽の奥で笑ったナルトが、気だるげな雰囲気を一掃させて力強く地を蹴った。
「馬鹿にしてんの?ネジこそ俺に置いてきぼり喰らわねぇよーに、せいぜい頑張るんだな」
そう言って、更にスピードを上げる。
たったそれだけのことで、心臓が抗議するかのように鈍い痛みを伴って激しく脈打ったが、
ナルトは気付かないフリをした。
まだ大丈夫だ。
限界はまだこない。
自分は、こんなトコロで終わっていいはずがない。
何かを堪えるように息を詰めたナルトは、強い意志を宿した目を前方にだけ向けた。
十月十日。
たくさんの人間が命を落とした、里人にとっての嘆きの日。
なんの因果か、十三回目となるその日にもまた、多くの人間が呆気なく死んでいっている。
迎えることはないだろうと思っていたその日が以前は待ち遠しかったはずなのに、今ではナ
ルトを憂鬱にさせるだけだった。
『いっそのこと来なければ良かったのに』とは、自分のことを殊更大切にしてくれている皆
の前では言わないけれど。
それでも、ナルトにとっての十四年目がないということだけは確かなのだ。
十三年目
「おい、ナルト!どこ行ってたんだ!?」
こんな時であろうと楊枝を欠かさないゲンマの、半場怒鳴るかのような問い掛けに対し。
ナルトがまず先にしたことは謝ることだった。
「悪い、少し遠出してたんだ。それで、さっきのアレは何?」
「よくわかんねぇが、どうやらアチラさんがコッチの人間を巻き込んで自爆したらしいぜ?
あの爆発の直後一度だけ連絡用の鳥が来たが、それ以降連絡取れなくなっちまったから定か
じゃねぇがな」
「なるほどね、アチラさんも形振り構わなくなってきたか……とことん俺とやり合うつもり
だな。ここまでやるとは、まったく俺も嫌われたもんだぜ」
少しだけ考える素振りを見せたナルトは、しかしすぐに顔を上げた。
「うし、ちょっくら様子見てくるわ。じゃあ鴇、一緒においでー」
一番近くにいた鴇を呼び寄せようとすると。
ガシィッ!!!
なんの前触れもなく、両腕を何者かに拘束された。
「…………あ?」
引き上げるかのように両側から拘束する人間を見ると。
左腕には、鋼色の髪に前髪の一房だけ緑色のメッシュを入れた、青年姿の伊吹が。
右腕には、黒髪短髪の刹那が引っ付いていた。
二人共木の葉の暗部装束を纏っており、素顔を隠しているのは禁忌とされる狐面だ。
ナルトは眉を顰めた。
「なんだよ、邪魔すんな」
「僕達のうちの誰かを連れて行っても、姫はもう動き回っちゃ駄目!」
「ホント頼むから、いい加減大人しくしててくれ…………」
暗部面をしていようが、二人の表情を想像することは容易い。
伊吹は顰めっ面を、刹那は疲労の色の濃い顔をしているのだろう。
絶対行かせないとでも言うように、ナルトの二の腕を掴む彼等の力は強い。
「…………なんか、お前等の方も負けず劣らず形振り構わなくなってねぇ?」
「誰のせいだと思ってるのさ!やっと帰って来たと思ったら、またすぐいなくなろうとする
姫が悪いんじゃない!!しかも目的地が戦場って、姫ってば狙われてるってことちゃんと自
覚してる!?僕もう、姫の言うこと聞かないからね!!!」
「同感。っつーことで坊、このまま大人しくしてよーな?俺等何されても、この手離す気ね
ぇから」
「よーし、よくやったぞ若いの!!」
拍手喝采。
奈良、山中、犬塚、油女、秋道といった名家の当主陣に加え、火影直属の正式な暗部、ナル
トの素を知ってもそれを受け入れた主だった中忍・上忍が、ナルトを捕獲するという偉業を
成し遂げた伊吹と刹那に、軽いノリの賞賛の言葉を送る。
捕獲されたナルトは納得できない。
「ネジ!」
助けを求められたネジはというと。
「…………体調が芳しくないんだろう?」
無表情で、裏切りの言葉を。
「それは本当ですか、御子」
温度のないヒヤリとした声に、ナルトは無意識に首を竦めた。
ナルトが部下とする私兵の中でナルトとの付き合いが最も長く、それと同時に最も口煩い小
豆色の髪の青年―――――安曇の詰問の声だった。
ナルトの真正面に立ち、暗部面の下にある髪と同色の目を光らせる様は、今までにない迫力
だ。
「別に、たいしたことは…………」
「嘘です。時折、呼吸困難に陥るほどの苦しみに襲われるそうです。痛みがないだけで発作
だと思うんですが…………」
「こ、の……一度ならず二度までも…………ッ!」
ネジを睨み付けたナルトを、安曇が容赦なく叱責する。
伊吹と刹那同様、安曇も自分の立場を弁えないナルトの身勝手な行動に、心底参っているの
だろう。
「あなたが悪いんですから、他人に当たらないで下さい。責めるならご自分をどうぞ。いい
ですか、鴇。あなたが御子の意思を第一に考えていることは知っていますが、今回ばかりは
絆されないで下さいね」
御子に会えなくなってもいいんですか、と。
洒落にならない脅迫に、天敵であるはずの安曇の言葉なのにも関わらず、鴇は力強く頷いた。
ナルトの味方はいなかった。
「離せ、この馬鹿力共!!」
暴れるナルトを、伊吹と刹那は複雑そうに見下ろす。
もともと大人と子供という筋力差があったが、ナルトを拘束するのに、二人はたいした力を
使ってはいないのだ。
だが、今のナルトはその手さえも振り解くことができない。
二人がその事態を知ったことをナルトは承知していただろうが、周囲にだけはそれを悟られ
まいと振舞っているらしいナルトの手前、わざわざそれを指摘することはなかった。
ネジが告げた一言で充分事足りるはずだから、と。
「このまま綱手様の下へ連行させて頂きます。よろしいですね?」
ナルトの意思を確認しているように見せかけて、実は『是』以外の返答など求めてはいない、
上から押さえ付けるかのような口調だ。
ナルトは安曇にキツすぎる眼光を叩き付け、吐き捨てるかのように言う。
「だから大丈夫だっつってるだろーが……………ッ!」
「そのような顔色で仰られても説得力などありませんよ。諦めたらどうですか」
「あはは!今日はまた随分と苛められてるじゃない☆」
ヘラヘラと笑いながら歩み寄ってきたのは、ドベ時のナルトの上司である写輪眼のカカシ。
顔の四分の三をマスクで隠した、怪しげな風貌をした銀髪の男だ。
一回りも歳が離れた少年にストーカー行為を働いているということを知らぬ者は現在の木の
葉にはいないほど、ナルトへの執着は並々ならぬものがある。
ナルトにとってはいい迷惑でしかないのだが。
「…………カカシ」
「なぁに〜?」
ナルトは哂う。
それはそれは綺麗に。
「笑いに来ただけなら帰れ。今すぐ俺の視界から消え失せろ。今はお前の存在自体、ウザ
くて不快で不愉快だ」
「そんなこと言ったって、どうせナルトはいつもそう言うじゃない。だんだん耐性ついてき
て俺、ナルトにそう言われるの快感になってきたんだよねー。虐げられる喜びって言うの?
いつも俺が虐げる側だったけど、ナルト相手ならそれも悪くないなーって♪だから絶対帰ら
ない」
恐怖の一言だ。
真性の変態へと進化を遂げたカカシを前にし、ナルトは生理的嫌悪からますます顔色を悪く
した。
その中身が子羊ちゃんかどうかはともかくとして。
ある意味獰猛な飢えた狼に遭遇し、尚且つ心無い科白で傷付いた子羊ちゃんを守るべく、二
匹の優秀な牧畜犬が動いた。
安曇と鴇が、同時にカカシへと忍刀を突き付ける。
「…………カカシ先輩、いい歳をした大人が恥ずかしくないんですか」
安曇の忍刀はカカシの首筋に押し当てられ。
鴇の忍刀は、ちょうど心臓の真上辺りのベストに、刃先が数ミリ埋まっている。
殺ろうと思えば殺れた。
だが、カカシは動揺することなく、暗部時代の後輩を冷たく一瞥する。
「…………安曇。仮にも俺、お前の先輩よ?その態度どうにかならないの??」
「昔ならまだしも、今のあなたに『先輩』として尊敬できるところがあるとは思えませんの
で無理ですね。それより、その非常にいかがわしい目と怪しく蠢く手をどうにかして頂けま
すか?そんなモノが御子の目に触れとなると、御子の精神衛生上かなりの問題になります。
御自分で始末することができないようでしたら、遠慮なさらずどうぞ私に言って下さい。抉
るなり切り落とすなり、喜んで引き受けますので」
「安曇ったら、まどろっこしいこと言ってないで一思いに殺っちゃってよ。姫ったらドン引
きで、今にも倒れそうなんだから」
「―――――っつーか、冗談じゃなく倒れそうなんデスけど…………」
酷い脱力感に襲われたナルトは、両脇から伸びる手が自分の身体を支えているのをいいこと
に、その状態に抗うことなく素直に身体を預けた。
「わ、わ、姫!」
「おいおい、しっかりしろよ坊」
「いや、意識はしっかりしてんだけどチョット…………」
地面に膝をついて座り込んでしまったナルトの肩に、すぐさまネジが手を添える。
「またか?」
「痛くねぇけど苦しいから、たぶんそーだと思う…………」
「まったく……だが、これでもう動けないだろう。伊吹さん、刹那さん。面倒だとは思いま
すが、早めにこの馬鹿を綱手様に診せて下さい」
「言われるまでもないね。ネジ君も来る?」
「ナルトが良ければですが」
「連いて来て」
自分の肩に手を置いたネジの袖を掴み、ナルトは息苦しさに耐えながら薄く笑った。
「なんかもう、いつになるかわかんねぇっぽいから」
いつ死んでしまうか、わからないから。
「なるべく、一緒にいよーぜ?」
「…………あぁ、一緒にいる」
「酷いよ、ナルト!その扱いの差はなんなのさ!!日向ネジはソレで俺はコレ!?俺だって
ナルトのこと愛してるのに!!」
「彼とカカシ先輩が同等の立場と思わないで頂きたいですね。御子にとってあなたは害虫以
外の何者でもありませんよ。さて、そうと決まったら綱手様のところへ。カカシ先輩につき
ましては、私が責任をもって始末しますので」
「安曇、鴇。頼むからソイツに毒されないでくれよ?最後の最後でお前等に失望したくねぇ
からさぁ…………」
「酷い、酷すぎる!!」
「酷くされんのが好きなんだろーが。鬱陶しい、泣くな馬鹿」
誰かさんのせいで気が萎える、と。
額に手を当てながら洩らしたナルトの声に重なるように。
「お前達、一体何をしてるんだい」
地面に『の』の字を書く怪しくも不気味な銀髪覆面上忍と、毛色の違う四人の暗部、彼らに守
られながらその場に座り込んでいる金色と、金色の幼馴染と、周囲を取り囲む大所帯の忍とい
う異様な光景に呆れた声が、その空間に響く。
里長である五代目火影、伝説の三忍として名高い綱手姫だ。
実年齢と反比例する華やかな美貌は、今は濃い疲労の色に覆われていた。
「まったくノンキなもんだね。今奇襲を受けたらどうするつもりだったんだ」
「そんなこと決まってるでしょう、五代目」
山中が奈良の肩に肘を置き、さも当然のように言った。
「何に代えても『うずまきナルト』を守り通し、敵の殲滅に心身を注ぐこと。たとえその敵
が同胞であったとしても―――――忘れてなどいませんよ。なぁ、奈良?」
「違いねぇ。やることは一つ、単純だからな。まぁ、今のはちょっとした息抜きってヤツで
すかね」
「その割りには、息抜きどころじゃない奴が一人いるみたいだねぇ……それで、どうなんだ
い?ナルト」
ぎくり、と。
ナルトの肩が大きく揺れる。
ネジの脅し通り綱手の声は重く、そして硬かった。
それでも努めて平静に。
「ちょ、ちょっと発作が……で、でも、たいしたことねぇから。いやホント」
「見え見えの嘘つくんじゃないよ。この子の前でもそれが言えるかい?」
「この子って……あ、なんか嫌な予感が…………」
綱手の背後から、躊躇いがちに姿を現したのは。
ナルトもよく知る―――――と言うか、知りすぎている幼馴染の少女だった。
ネジと同じく紫がかった白濁色の瞳を不安げに揺らし、小さな足音を立てて駆け寄って来る。
良家の子女らしく安曇や鴇、伊吹や刹那、おまけにカカシを含めた五人にしっかりと頭を下
げてから、ナルトの真正面に膝をついた。
気まずそうな顔をしているが、ヒナタよりもナルトの方がよほど気まずそうな顔をしてしま
う。
「ヒナタ、どうして……ここに来ちゃ駄目っつっただろ?ヒアシ様にもそうお願いしたはず
だぜ??」
「私がワガママを言ったの」
「どーして」
「だ、だって、ネジ兄さんだけナルト君の側にいるなんてズルイよ。私だって、ナルト君と
一緒にいたいのに」
「でも、命の保障はないんだぞ?」
「それが何?」
ヒナタの目は真剣だった。
「そんなこと、たいした問題じゃないよ。死ぬのは嫌だけど……でも私だって忍だし、それ
に何より、ナルト君が私の知らないところでどうにかなっちゃうのはもっと嫌なの。私だけ
除け者にしないで。だって私達」
兄弟でしょう?、と。
小さく震える声で、胸の内を訴えるように。
「認めてくれないと、泣くよ…………?」
「ま、待って待って、それだけは勘弁!」
ただでさえ弱っている心臓に、それは痛烈すぎる。
ナルトは両手を肩の位置まで上げ、降参とばかりに苦笑した。
「…………ヒナタも一緒な。これでいい?」
「うん、ありがとう―――――でもね、ナルト君」
花開くように笑ったヒナタの表情が、すぐに曇る。
「また無理しようとしたよね?せめて、持ち直すまでは安静にしてようよ。自分の身体、大
切にしてあげて。そうじゃないと、私…………」
第二波、襲来。
「わかった、わかりマシタ!わかったから泣くなって!!完璧俺の負けだから!!!」
「うん、ナルトにはこの手が一番効くね。最初からこうしてれば良かったんだ」
満足そうな綱手に、恨めしげな視線を。
唇を噛み締め、ホクホクとしている綱手を力一杯睨む。
「卑怯な―――――ッ!」
ナルトがどんなに好き勝ってなことをしようと、ヒナタにここまで言われたら寓の音も出な
くなるということを知っていて、こんなところまで連れ出すとは。
本来ならば、ナルトの側にいる―――――戦場に出るということがヒナタの意思であっても、
『はい、そーですか』と簡単に受け入れられるものではない。
かと言って一度了承したものを、そこで尚も何か言い続ければナルトの立場が危うくなるた
め、納得できなかろうとなんだろうと受け入れざるをえないのだ。
とてつもない悪循環に、涙が出そう。
非難するナルトに対し、綱手の態度は痛くも痒くもないとでも言うようなもの。
「なんとでも言いな。この件に関しては、私は一歩も退く気はないからね。それよりナルト、
お前はもう少し後方に下がりな。さっきのアレで形勢が変わっちまったんだ。里の主力がコ
チラ側にあることに変わりはないが、質より量で、一般人も加わってるからね……これでか
なり分が悪くなった」
「一般人も?いつかそーなるとは思ってたけど……ったく、俺も嫌われたもんだぜ。ばーさ
んはこれからどうするつもり?」
「…………里長としてはなんとも言えないね。個人としてはもちろん、アンタの味方だけど」
「ありがと、それで充分。でも退く気は毛頭ねぇよ」
血の気が失せた白い顔で。
それでも、硝子玉のような碧眼に宿るのは、弱々しい外見からはまったく想像することがで
きないほどの生気に溢れた光。
「ここで退くぐらいならいっそ、壇上に立って『殺せるもんなら殺してみろ』って挑発して
やる」
「…………そーゆー奴だよ、お前は」
苦笑した綱手はナルトの頭を軽く掻き混ぜると、他の者に指示を与えるべくナルトから離れ
て行った。
一瞬、彼女の鬼気迫るような顔を見た気がしたが。
その様子が気のせいであったのか、そうでないのか。
また、引っ掛かったソレが一体なんだったのかをナルトは確認することができなかった。
「…………ばーさん、なんかあったのかねぇ。ヒナタ知ってる?」
「む、迎えに来て頂いたばかりで、ちょっとしか一緒にいなかったから…………」
「よくわからない?」
「うん、ごめんなさい」
「謝んなくていーよ。少しばかり気になっただけだから……何?人の顔じっと見ちゃって」
必要以上に顔近いから照れちまうじゃんか、と。
笑い半分、戸惑い半分のナルトがヒナタに問うと、ヒナタは心底ほっとしたように柔らかく
微笑んだ。
「ううん、なんでもないの。ただ、いつものナルト君だなぁって思ったら嬉しくなって」
「なんで?」
「ナルト君がナルト君らしくいられることが私にとっては何よりも幸せなことだから、自然
に笑っちゃうんだよ。変かな……黙ってるけど、ネジ兄さんだってそうだと思うんだけど」
「…………ネジ、そうだったのか?」
「なんだその顔は。心外にもほどがあるぞ」
「だぁってさぁ〜」
ムッとした様子のネジに、ナルトが再び口を開こうとすると。
それまで黙ってヒナタとナルトの会話を聞いていた伊吹が、ナルトの背後に目をやりながら
忠告してきた。
「あ、姫。逃げた方がいいと思うよー」
「―――――っつーか、この体勢じゃ無理だろ」
立つことも出来ないナルトをフォローすると共に伊吹に冷静なツッコミを入れた刹那もまた、
その方向に目をやり、眉根を寄せる。
ヒナタとネジまでもが『あ』とでも言うような顔をしたため、仕方なしにナルトは背後を振
り返った。
一体なんだってんだ?
とたん。
「ナルト―――――ッ!!!」
「う、わ…………ッ!?」
両手を広げて飛びついてきた、一人の少女。
そのあまりの勢いのせいで、情けないことに絶好調とは言いがたい体調であったナルトは押
し倒されてしまったが、それでもなんとか踏ん張りを利かせ、地面に背をつけることだけは
避けることができた。
ナルト首に両腕を回して抱きついているのは、金色に近い茶髪を頭の上で一つに束ねた、気
の強そうな少女だ。
山中家の跡取り娘、山中イノである。
密着していた身体をバッと音が鳴りそうなほど勢い良く離したイノは、ナルトを睨むと。
「この馬鹿ナルト!私達を蚊帳
の外に置こうとしたわね!!?」
「―――――ッ!」
突然、渾身の力で首を絞めてきた。
とてつもない圧迫感だ。
被害者であるナルトは堪ったものではない。
「ちょ、ちょっ、イノさん…………ッ!?半端じゃなく、く、苦しーんデスけど!」
「イイ様よ、もっと苦しみなさい!!!」
「おい、やりすぎだイノ!」
ナルトを窮地から救ったのは、メンドクサそーな顔をした王子様。
シカマルが男女の筋力差に訴え、イノの首根っこを掴み、無理やりナルトから引き剥がした。
「…………ケホッ、助かったぜ。ありがと、シカマル」
「どーいたしまして―――――って言いてぇトコだが、お前よ、今のは半分自業自得だぜ?」
瞬き数回。
首に手を当てて小さく咳き込んだナルトは、まじまじとシカマルを見返した。
「…………そ、そなの?」
「自覚ねぇのかよ」
「ほら、ナルト君。私と同じ理由だよ?ナルト君たら、なんの説明もなしに私達を遠ざけよ
うとするんだもの。だから、皆が怒るのは当たり前だと思う」
「皆って誰…………は?あれ??」
驚いたナルトは、困り果てたように眉をハの字にした。
それもそのはず。
そこには、以前から演技なしのナルトを知っていたイノやシカマルの他に三人―――――油
女家の嫡男『油女シノ』と、犬塚家の嫡男『犬塚キバ』、秋道家の嫡男『秋道チョウジ』まで
もが勢揃いしていたのである。
彼等は先日、ナルトが原因となっているこの乱が発起した瞬間、その場に居合わせていた。
一度、砂の暗部が押し掛けて来た際、彼等の目の前で本来の力を解放したナルトは彼等の記
憶を操作したことがあったが、数日前、敵に囲まれて半場自棄になり、その時の記憶を本来
の持ち主達に全て返してしまったのだ。
あとは罵られようが恐れられようが『どーにでもなれ』という心境だったというのに、なぜ
かこの時この瞬間、つまり今、彼等が目の前にいるのである。
この状況で、どうして驚かずにいられようか。
「…………お前等、なんでここにいんの?」
「あ?」
「だって、イノとシカマルはいいとして、お前等がここにいなきゃなんねぇ理由なんてなく
ねぇ?俺って実はこんなだし、嫌だろ?―――――ってか、何考えてるか知らねぇけど、仮
にも名家の跡取りがこんなトコにノコノコ来んじゃねぇよ。死ぬぞ」
「…………なぜそこでイノとシカマルが除外される」
「いや、コイツ等は日向とまではいかなくても結構長い付き合いだし…………」
「だから俺等とは違うって?冗談じゃねぇ」
怒りを滲ませた顔で、キバが吐き捨てる。
「確かにお前のことまともに知ったのはこの前だけど、だからって避けるとか嫌うとかある
訳ねぇじゃん。九尾の器?んなの関係ねぇよ。アカデミーん時、イタズラとかサボりでツル
んでたのは、一緒にいて馬鹿騒ぎすんのが楽しかったからだ。お前が何者かとか、そんなの
最初から問題外。お前は違うのかよ?」
違う、と。
言いたかったが、ナルトの唇はかすかに動いただけで、実際にそこから音が出ることはない。
確かに、あの頃は楽しかった。
夜はネジがいて、ヒナタがいて、昼はアカデミーで決まったメンバーとキバの言う『馬鹿騒
ぎ』をして―――――まぁ、その頃はすでに暗部として暗躍していたのだが、仮面を形成す
る上での『普通の子供』らしい言動や行動は、彼等から教わったと言っても過言ではない。
ただ、そんな意味ではなく。
彼等と一緒にいる時間もまた、ナルトにとってはそれなりに大切であったのは事実。
黙り込んでしまったナルトに、尚もチョウジが続ける。
「ナルトは、それで僕達が態度変えるって思ってたの?僕達、仮にも名家の跡取りだよ?そ
んなお粗末な教育されてないんだけどなぁ…………」
こんな時まで食べ物を手放さないでいるチョウジの科白は、まさにトドメと言えるモノで。
ナルトは顔を両手で覆い、静かに俯いた。
怒りを鎮めたイノが、シカマルの手から逃れて勝敗を決する補足説明を。
「あのね、ナルト。ホントはサクラも来たがってたのよ。でも、サクラの親御さんは忍じゃ
ないでしょ?そこのところで折り合いつかなくて、ココにいないだけだから誤解しないでや
ってね。あとサスケ君なんだけど、正直ちょっとわからないわ。でもナルトの居場所を聞き
にシカマルの家に来たみたいだから、たぶん大丈夫だと思う。なんだかんだ言って、サスケ
君だってアンタのこと認めてるってことよ」
「どーだか…………」
伊吹が腰を落とした。
はっきりとした反応を示さないナルトの様子を窺い、そして笑う。
「あ、姫ってばテレてるー☆」
「…………うっさい」
「良かったじゃないですか。まぁ御子のことですから、どうせこうなるとは思ってましたが」
「坊はモテるからな」
「ナルトー!俺等のガキ侮るんじゃねぇぞー!!」
「黙れ、奈良!!お前がえばるな!!」
「ナルト君、嬉しそう…………」
「ヒナタも…………ッ」
赤面した顔を誰にも見られたくなくて、ナルトは更に縮こまった。
クスクスと声を洩らして笑うヒナタのせいで、顔面温度は下がりそうにない。
珍しいことにネジまで笑い出し、ナルトは目を瞑り、耳まで塞いでしまった。
それでもわかってしまう、この暖かすぎる空気。
不快とは思わなかった。
自分は、それに包まれることが害にはなりえないということをすでに知っている。
「あのね、ナルト君のこと好きな人、たくさんいるんだよ?皆、ナルト君の幸せを祈ってる
の。確かに、里はナルト君のこと嫌ってる……ううん、憎んでる。でも、里の人全員がそう
じゃないの。それだけは忘れないで?」
「…………うん」
「なんだい、なんだい。ちょっと留守にした間に、随分と感動的な場面になってるじゃない
か」
戻ってきた綱手が、先ほどまではいなかった下忍+新人中忍を見て、笑う。
『ここにいるということは、そういうことだね』と、満足そうに頷いた。
「次代の里を背負う若者に、公正な目を持った奴等がいて良かったよ。アンタ達に言うのは
筋違いかもしれないけど、もう二度と、こんな馬鹿なこと起こさないどくれ。さて、ナルト」
綱手に声を掛けられ、ナルトはようやく顔を上げる。
そんなナルトの首筋に無言で手を当てた綱手は、害にならない程度の微量なチャクラを送り
込んだ。
「…………それで動けるだろう。お前は部下四人を連れて、さっさとここから離れな」
突拍子もないことを言われ、ナルトは瞠目した。
さっきの会話はなんだったんだとばかりに、顔を険しくして反論。
「何言ってんだよ。ここから離れないっつってんだろ?なんで俺がそんな負け犬みたいな真
似しなきゃなんねぇの?」
「いいかい、ナルト。これは逃げじゃない。むしろ、今からやろうとしていることの方がこ
こに留まるよりも更に難しいことだろう。でもね、ここに留まることがお前のためになる訳
じゃないんだよ。そこにお前が行かなければ、今までの犠牲の全てが無駄になるんだ。いく
らお前でも、私はそんなこと許さないよ」
綱手の意識が、安曇に向けられる。
「手はずは整えた、あとは待つだけだ。この先、アチラがどう出てくるかということもある
が…………」
「それはないでしょう」
安曇が当たり前のように、しかし忌まわしげに言う。
「ありえませんよ、その心配は無用です。伊吹もそう思うでしょう?」
「僕知らない。さぁ、姫。さっさと行こー」
差し出された手を、ナルトは容赦なく叩き落とした。
予想していたのか伊吹に動揺は見られない。
今度は逆に刹那に腕を取られたナルトは、半強制的に引き上げられた。
綱手の言うとおり動けるようになったが、納得できない。
「この土壇場になって、俺の知らないトコで何をしようとしてんだよ。今度はばーさんまで
結託して」
「余計なこと考えるんじゃないよ。お前は後ろを振り向かず、前だけ見て走るんだ。いいね?」
「だからそれはどーゆーこと……って、おい、ちょっと待てよ」
綱手を問い詰めようとしたナルトは、その事態に気付き、即座に顔色を変えた。
徐々にコチラに近づいてくる、数え切れないほどの人の気配。
肌を切り裂くような強い思念が、離れたこの場所にもひしひしと伝わってくる。
それは、ナルトが十三年前から今もなお、現在進行形でソレを向けられている唯一の存在で
あるから過敏になっていて気付いただけなのかもしれないが、これが気配ではなく実際の音
となり、他の人間でも肉眼で確認できるようになまで、さして時間は掛からないだろう。
なるほど、『一般人も』という綱手の言葉は嘘ではなかったらしい。
「冗談……これほどの団体さんが押し掛けて来てるってのに、行けっつーのか!?」
「そうだよ。なんなら火影として、命令でもしてやろうか?」
「命令されても絶対聞かねぇ!」
「行っとけよ、ナルト。ここは俺等が抑えっから」
「んなことできるはずねぇだろ!?この状態でお前等を見捨てるなんてこと」
できっこない、と。
言う前に、ものすごい力で頬を叩かれた。
「この状態だからだ!足手纏いは邪魔だ、さっさと行きな!!」
「ばーさん…………」
呆然とするナルトの横で、ネジが神妙な顔をして綱手に話し掛ける。
「綱手様、俺達も途中まで行っていいでしょうか」
「好きにしな。無駄死にだけはしないように心掛けるなら構わないよ」
「ありがとうございます」
「ばーさん!」
声を張り上げたナルトを、綱手は最後の抱擁とばかりに抱き締めた。
「お前に会えて良かったよ。今度は私にお前を守らせてくれ。不甲斐ない火影で悪かったね」
「そんなことない…………」
「きっとまた会えるさ。愛してるよ、元気で。」
そんな、叶うはずもない未来を口にしないで。
綱手はナルトを解放し、自分が譲った首飾りと共に胸元で光っている指輪に触れ、その輪郭
をそっとなぞった。
「…………きっと、この贈り主が待ってる」
ふいに脳裏に浮かんだのは、思い出さないように努めていた元教育係。
本当に待っていてくれるという保障はどこにもない。
それなのに、もっと大きな犠牲を払うかもしれないワガママを押し通して、自分は彼の元へ
行っていいものだろうか。
会いたいと思う。
今までの恨み辛みを、隠すことなく全て吐き出してしまいたい。
謝りたいことだってたくさんあるし、伝えたいことだってたくさんある。
この命にまだ猶予があるのなら、ここではなくせめて、彼の腕の中で逝きたいとも思う。
―――――だけど。
「いいんだよ、望んでも」
優しい優しいその声に、ナルトの顔がくしゃりと歪む。
「…………いーの?」
「あぁ。言ってみな、ナルト。ここにいる全員が、それを叶える気でいるんだからね。お前
の望みはなんだい?」
「俺は、イタチ兄のトコに行きたい。他は何も望まない、それだけでいいんだ…………ッ」
「よく言ったね」
わかった、と。
大きく頷いた綱手は、ナルトの両脇に立つ伊吹と刹那に、ナルトを連れて行くように命じた。
主の今後に関わることだけに、ナルト以外の人間から下されたの命令であっても素直に従お
うとした二人だったが。
「必要ない、むしろ邪魔」
酷い言葉と共に、今度こそとばかりに伸ばされた手を振り解いたナルトが、皆に向き直った。
掛けられる言葉は、全て心からナルトを思ってのもの。
「今まで悪かったな」
「ありがとよ、ナルト」
「幸せになりなさいよ!じゃなきゃ容赦しないんだから」
「ナルトナルト〜☆俺、会いに行ってもいいよね!?」
懲りることを知らないカカシにだけ『嫌』と答えて、ナルトは吹っ切ったように笑った。
十三歳の子供らしからぬ、しかし、それでも万人に好かれるような、それはそれは綺麗な笑
顔だった。
「ごめん、俺やっぱ行くわ。でも俺のせいで死なないで。適当にコッチに流していいから」
「子供が妙な気遣いを見せるんじゃないよ。コイツ等だって一応里を代表する忍なんだから、
どうにでもなるさ。さぁ、いい加減お行き」
「うん」
その返事だけを残し、ナルトは安曇と鴇、伊吹と刹那、そして最後にネジとヒナタと目を合
わせ、走り出した。
身体が重い。
以前のようには動けない。
下手な上忍よりも速く動いているつもりではいるが、その自覚がある以上、今の自分の力を
過信して行動したら、それこそ命取りだということもわかっている。
それでも、自分は行くのだ。
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