第二章  其の参
「んで?騎獣で一気にここまで来たのはいいけど、これからどうすんだよ?」 人目で軍人だとわかるあの目立つ黒色の軍服を脱ぎ捨て、一般の旅人同様の服装に帯刀した姿 で数時間分もの筋肉の硬直を解すように大きな伸びをした翔黎は、すっかりと暗くなった周囲 を見回し、やる気がなさそうに呟いた。 「もう夜じゃん」 そう遠くないところから、獣の遠吠えが聞こえてくる。 今夜は満月だから、興奮しているのかもしれない。 「人探しなんて夜にできるもんじゃねぇんだからさ、さっさと宿でも入ろうぜ。まさか野外訓 練じゃあるまいし、野宿だなんてことはねぇだろ」 秀黎が何も言わないことを良いことに、好き勝手言い放題の翔黎。 『これだから贅沢に慣れた貴族は』と思いつつも、自らも貴族であり、しかも問題の人物と血 縁関係にある秀黎にとってみれば頭が痛いものがある。 「…………お前の期待に答えるようで癪だが、まだ祭りの前だ。飛び込みでも部屋が取れるだ ろう。行くぞ」 「了解、酒場にも行こうぜ!ここの地酒は美味いって評判だからな、楽しみだ」 完全に当初の目的を忘れているように思えてならない翔黎に、秀黎は額を手で押さえた。 誰とまでは言わないが、己の欲望に忠実すぎる人間が世の中の男性の品位の大半を失わせてい るのは明らかである。 同じ顔の生き例が目の前にあると、誰彼構わず頭を下げて回りたいという衝動に駆られる。 「…………反対はしないが、勘違いするな。あくまで名目は情報収集だ」 「わーかってるって。これで隣りに美女がいたら文句なしなんたけどなぁ〜…………隣りにい るのは美女じゃなくて自分と同じ顔の同性。顔は悪くねぇんだけど、やっぱなぁ〜…………」 あんに『本物の女性がいい』と主張しているのだ。 あからさまな物言いに、秀黎は翔黎の先を歩きながらこれでもかと眉を寄せた。 不愉快だったらしい。 「それはこっちの台詞だ。いい歳になった男の誰が好き好んで自分と同じ顔の男と行動を共に したがる?陛下の命令でなければお前などとうに捨て置いているものを」 「俺が頻繁にお前のフリをしてるから、ほっとけないんだよな?ご愁傷様」 翔黎が意地悪気にニヤリと笑う。 「ええっと確か半年ばかり前だったっけ?娼館での俺の馴染みの子が妊娠しちまって、俺の子 供だと言い張ったその子が王宮まで押しかけてきて、『責任取れ』っつって大騒ぎしたやつ。俺 がそこでお前の名前を使ってたから、『秀黎様を出せぇっ!』って…………あれは凄かったよな ぁ?まぁ、結局父親は別にいたんだけど」 まるで他人事。 一歩間違えれば、身に覚えがないことで一児の父親になっていたかもしれない秀黎にしてみれ ばそれこそ冗談ではなく、真相が明かされるまでの数日間、秀黎は謂れのない架空の行動でか なりの数の貴人に声をかけられ、不名誉極まりないことの真偽を尋ねられ続けまでしたのに。 しかし、一時は騒然とした社交界も、その『娼婦押しかけ事件』の真相を知ると誰もが失笑し、 それはたちまち笑い話へと転じたのだ。 あれは、二度と味わいたくはない代物である。 「いっそのこと、人違いではなく本当にお前の子供だったのなら良かったんだ。それこそ見物 だろう?」 冗談ではなく本気の台詞に、翔黎は語尾を濁す。 「い、いやぁ、それはさすがに…………」 「遠慮するな。あぁ、そうだな。あの件で実感したが、お前のことだ、隠し子の一人や二人い るだろう?子供の身元をはっきりとさせてやった方がいいし、探し出すとするか。何、侯爵家 の力を持ってすれば不可能はない」 「…………本気かよ?」 「お望みとあらば」 実家の力を過信しているのではなく、その身を通して思い知らされている翔黎はそれが冗談で もなんでもないということを悟った。 「…………お兄様は俺のことが嫌いなんですか?」 「今すぐその首を締め上げたくなるくらいはな」 「ははぁ〜…………問答無用で叩き切られない程度には好かれてるんだな?」 「辞世の句はそれで良かったのか」 『わりと短い生涯だったな』という、なんとも非情な付け足し。 当人達にはどうしようもない生まれながらの柵を断ち切ろうとしている秀黎の顔は一見無表情 だが、その瞳にはひたすら冷たい光が宿っている。 例えるなら、それは厚い氷の上に走る一本の亀裂。 よほど緊迫した状況や戦場でなければ、なかなかお目にかかれないであろう、そんな目。 翔黎は目をあちらこちらに泳がせ、急に歩調を速めた。 「さ、さぁ、夜は長いが短い!一刻も早く酒場に行って、情報通な店員にでも話を聞くとする か!」 「相手が女性の場合は遠ざけさせてもらう。お前と話しただけで、大抵の女性が孕まされる危 険性があるからな」 「うわ、その言葉痛…………っ!」 「もし、そこの旅のお人」 「「!?」」 突然背後から声を掛けられ、二人は同時に身構えて振り返った。 今の今まで喧嘩紛いの言い争いをしていたとは思えない程、息が合っている。 気配など欠片も感じさせなかった。 一体何者だと相手を見極めようとした二人は、しかし、声を掛けてきたらしい人物――――― 老紳士と言うよりはかなりみすぼらしい農民装束を身に纏った老人を視界に納め、数瞬呆然と した。 野良仕事で薄汚れた継ぎ接ぎだらけの服を着た、やたらと小さな老人である。 農作業用の柴掻き籠に鍬を入れ、小刻みにプルプルと震えながら立っていた。 彼の頭髪はお世辞にも裕福とは言えず、発毛機能が著しく低下しているとしか思えない。 闇に包まれた夜であっても僅かな光を受け、自らを光源とする素晴らしく見事な頭部を持って いる。 その頭部の輪郭を申し訳程度に隠す白髪は、風に吹かれたらあっさりと抜け落ちてしまうのは ないか。 いっそのことスキンヘッドにしてみれば、これを見るたびに笑いを堪える人々の苦労をなくせ るであろうから、二人としては思い切って全て毟り取ってしまうことをお勧めする。 ここまで進行していれば、増毛・発毛を売りとする某有名会社も諸手を上げて潔く降参するこ とであろう。 老人の頭部にばかり目がいってしまったが、そこでようやく二人は我に返った。 先に声を掛けたのは秀黎だった。 「…………何か?」 「あんた達、どこに行くんだね」 頭部からも声からも、生気が感じられない。 それがあまりにも不自然すぎて笑いの波に急襲された翔黎が噴出しかけたのを、咄嗟にど突い て背後に隠し、秀黎はできるだけ柔らかな声音で問いに応えた。 「我々は嵯々巳に向かう途中です。一夜の宿を求めて智村に行こうとしていたのですが」 「そっちへかい?」 老人の視線の先を確認し、秀黎は頷いた。 「そのつもりです」 老人は力なく首を左右に振りながら、嘆きの声を上げた。 「…………あんた達知らんのかね?智村は三ヶ月前に失われたわい」 そのとたん、翔黎だけでなく笑いのツボに嵌っていたはずの秀黎も過剰に反応する。 聖地に一番近い村でそんなことがあったのなら、すぐにでも報告が飛んでもおかしくないはず である。 しかし、そういう類いの報告を耳にしたことはない。 「どういうことですか」 「爺さん、あれだけの村がなくなった原因ってなんすか?伝染病?盗賊の襲撃?それともこの 前の大雨で笙寿湖に水没でもしたんすか?」 「そういうけったいなものでないよ。直接の原因は大火事じゃ」 「大火事?」 「酷いもんじゃったよ。夜中に起こっての、逃げ遅れた人がたくさん焼け死んだわい。村の家 屋の大半が全焼してな、幸い森に燃え移らなかったから良かったものの、もしそれが現実とし たらと思うと、今でも冷や汗が出る…………」 かつてそこに存在していたはずの眉部分を寄せる老人は、同情を誘う程に痛々しい。 ただでさえ、その姿だけで同情を誘うというのに。 「とにかくの、そっちの道に行ってもなんも良いことはありゃせん。焼け跡があるだけじゃ、 止めいた方が無難じゃな」 「…………じゃぁ、どうすればいいんだよ?」 「新しく興した智村に来い。ここからたいして離れておらんからの」 そうは言われても、双子の受けた衝撃は抜けきらない。 当初の目的を達成できることは嬉しいが、素直に喜べるものではなかった。 先によたよたと歩き出した老人が、『連いて来い』と目配せをする。 言う通りにしていいものか迷うものがあった。 「どうした、早よ来い。この辺りの治安は嵯々巳と違ぅて良いわ。安心せぇ、風誘うままに流 浪する善良な旅人を騙す輩はおらんよ。…………もっとも、騙そうとしても騙せるようなお方 達とは思えんがの」 意外と鋭い指摘に二人は無意識に外套の下で剣の柄に触れたが、もちろん、剣を抜くようなこ とにはならない。 そこまで言われてしまっては、拒否することはできなかった。 それに今後の方針を決めるためも、智村に入ることはかなり重要な意味を持っていたから。 秀黎は頭を下げた。 「…………お願いします」 「されてやる。おい、そこの。手持ち無沙汰ならこの籠を持ってくれんか」 「いーっすよ―――――って、重っ!何入ってんすか!?」 渡された籠を持って、翔黎はうめいた。 「芋じゃ、芋。孫の大好物での、張り切ってたんと取ったらこんな時間になってしもぅた」 「はぁ…………」 それにしても、さっきこの老人は、小さな子供一人分はあるだろう重量の籠を、まるで重力な どあってなきが如しとでも言うように担いでいなかっただろうか。 聖地の近くで暮らす人間は皆こうなのかと、不安になってしまう。 翔黎の不安を他所に、老人は手を後ろ手に組んで歩いている。 夜道を照らす急ごしらえの松明に、大小様々な蛾が近付きすぎ、音を立てて燃え、落ちていく。 蛾は月の光で方向性を決め、螺旋状に飛ぶと言うが、おそらく松明の光に惑わされた結果だろ う。 つい最近舗装されたばかりの道は砂利が多く歩き難いが、文句を言ってばかりはいられなかっ た。 途中で道が枝分かれになることはほんの二・三回しかなく、さほど広くもない道が小高い丘の 上へと続いていて、迷うことなどない。 「…………村は、丘の上にあるのですか?」 静かな周囲を憚るように、秀黎も声のトーンを落として問う。 「そうさ、今度の場所は見晴らしがえぇ。じゃがな、この歳になるとやはり愛着がある前の土 地が恋しゅうてたまらんわ。おっと、これは爺のつまらん世迷言と思うて聞き流しておくれ」 「…………いえ、わかる気がします。俺のような者が言うのはただの傲慢かもしれませんが」 「なんぞ、まだ若いというに達観したような物言いをしおって」 「この愚弟が次から次へと騒ぎを起こすものですから、必然的に」 「苦労しておるようだの」 「えぇ、本当に」 「…………おい、秀黎。何もこんな爺さんにまで愚痴らなくてもいいだろ。ネチネチネチネチ、 ホントに執念深い奴だな」 「黙れ、種馬男」 「ふぉっふぉっふおっ!こりゃ愉快じゃ」 「爺さん、笑い事じゃねぇっすよ!ったくもぅ…………」 「親父殿!?」 三人だけの会話に突如として割って入る、野太い声。 抗議を止めて翔黎が松明をできるだけ前方に翳して目を細めると、老人より遥かにマシな姿格 好をした大柄の男が走り寄って来た。 「親父殿、こんな時間までどこへ行っていたんですか!村の若手衆総出で探していたんです よ!?」 「心配掛けて悪いの。芋掘りに行ってんじゃ」 「それにまたそんな格好をして!わざわざ年老いた親父殿がやらなくとも我々がやりますから、 どうか親父殿は大人しくしていて下さい!智村の沽券に関わる問題ですよ!?」 呆気にとられるとは、まさにこのことである。 似ても似つかない二人はどうやら親子らしいが、そんな事実よりも息子の主張に違和感を感じ た。 「そんなに騒ぐでない。それより、お客人じゃ。手厚くお迎えしなさい」 簡素な紹介に、タイミングを外すまいと先に挨拶の言葉を口にした。 「「お世話になります」」 ガタイの良い息子は、旅装束姿の翔黎と秀黎を見て不躾な視線を送る。 「客?この大変な時に?正気ですか、親父殿―――――いや、来てしまったものは仕方がない でしょう。ここで会ったのも何かの縁。何もない所ですが、ごゆるりと休まれよ」 素っ気なく決まり文句を言って、息子は慌しく駆け戻って行った。 翔黎は、不機嫌も露わに口元を歪める。 「…………んだよ、アレ。気に喰わねぇな」 「翔黎っ!」 すぐに秀黎の叱責が飛んだが、老人が気を悪くしたような様子は見受けられない。 「申し訳ない、アレも無愛想での。根は良い子なんじゃが」 「とんでもない。野宿になるところを拾って頂いただけでも助かります。謝罪をするのはこち らの方です」 「律儀じゃのぉ…………じゃがな、ワシが是と言えば是なんじゃ。息子なんぞに気を使う必要 などないわい」 これもまた、違和感を感じる台詞である。 翔黎は、心の内にあった疑問を思い切ってぶちまけた。 「爺さん、あんた一体何者なんすか?」 老人が答えるより先に、張りのある声が周囲一体に響き渡る。 「長老がお戻りだ!」 …………。 数秒の沈黙。 老人が、今気づいたかのように拳と手の平をポンと合わせた。 皺だらけの顔で、人の良い満面の笑み。 「まだ言うてなかったようじゃの。ワシは浅葱、智村の長老をしておる」 …………世の中は、神秘に満ちている。 <<NOVELNEXT>>
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