五の怪、トイレの鼻子さん。


問題のトイレは、北校舎の二階にあった。
周囲に人の出入りが激しい教室がないため、そのトイレがある場所は『喧騒』という言葉と
は遥かに掛け離れている。
『資料室』という名の物置部屋も、使用目的が明らかにされていない生活室も扉は固く閉ざ
されたままで、引き戸のレールに詰まっているゴミが、この教室がどれだけ人を迎え入れて
いないかを物語っていた。
それでいて壁のスイッチを押せば蛍光灯が点くのだから、はっきり言って待機電力の無駄だ。
そんなことよりも、昼間なのにも関わらず陽光がまったく入らずに薄暗い廊下の照明設備こ
そ、もっと充実させるべきなのだ。
何しろ、気温が低い冬でも日向にいるだけで寒さがまぎれるように、明かりの有無で人間が
体感する温度はまるで違う。
たとえそれが温かみのない人工的な明かりだろうと、ないよりは気分的にも余程マシなはず
で…………。
そういったことを希望する声もあったらしいが、さてはてどうなっているのやら。


「『余計なトコに金は掛けません』ってか?ケッチィの……今度ジジイに言ってみよっかなぁ
〜…………」


もう部外者だけど、と。
半場投げやりに呟いたナルトは、五の怪の舞台に到着すると小さく息をついた。
ここも相変わらずだ。
不気味なほど暗い上に年がら年中寒ければ、倦厭されるのも当然というもの。
故に、そんな場所の掃除当番が校内美化活動に真面目に取り組んでいるはずもない。
踏みつけられて黒い足跡が目立つ雑巾は床に散乱し、予備のトイレットペーパーも埃を被っ
ていた。
水道の蛇口に引っ掛けられている網の中に未使用の石鹸が入っていることだけが、せめても
の救いかもしれない。
五の怪の舞台となっているソコは、生徒達の間で駆け込み寺ならぬ『駆け込みトイレ』と呼
ばれていて、アカデミー建造当時から現在まで、この特殊な場所柄駆け込む必
要性がある切羽詰まった人間に重宝されていた。


「は、鼻子さんが出るのは出るのは女子トイレじゃなかったの…………?」


用を足している人間がいないとはいえ、男子トイレに入ることに変わりはないモエギが、居
心地が悪そうに視線を彷徨わせながら問う。
この中で唯一の女子なのだから仕方ないかもしれないが、思春期に突入しようとしている少
女の心の機微を察することのできる人間など、男性メンバーの中には―――――いや、一人
だけいた。


「嫌なら外で待っててもいいってばよ?」


モエギの頭の上にポンと手を置いたナルトの言葉に、モエギは戸惑いがちに顔を上げた。


「抵抗、あるんだろ?」


むしろ、ない方がおかしい。
くすくすと笑うナルトを見て、モエギはゴクリと息を呑んだ。


「…………怖いこと、ない?」

「ないない」

「ヤなことは?」

「ん〜……それはちょっとあるかも。だけど俺がいるし」

「私が入っても、ナルト兄ちゃん達からかわない?」

「もしそんな奴がいたら、俺が容赦なくブッ飛ばしてやる
よ」


とたん。
ニヤニヤと笑っていた木の葉丸とウドンが、同時に顔を引き攣らせた。
遠回しでないピンポイントの牽制は、絶大な効果を生んだらしい。


「じゃあ私も行く」

「よし」


気を取り直したモエギと共に、男子トイレに足を踏み入れる。
あまり使われていないためかトイレ独特の異臭はなく、タイル製の床や壁が手伝って、廊下
以上にひんやりとした空気に覆われていた。


「あ、蜘蛛の巣!」

「ナルト兄ちゃん、あれフランソワの巣じゃないよね?」

「まさか。いくらフランソワでもここにまで巣を作るほど見境なくはねぇよ」


苦笑し、あまり広くはない内部を見回す。
目に付くのは、半壊した掃除用具入れと悪戯書きで埋め尽くされた個室のトイレの壁。
『死ね』だとか『殺す』だとか。
一見すれば物騒のように思える言葉が極太マジックで書かれているが、実際は低レベ
ルとしか言いようがない幼稚な悪態でしかない。
その中には彫ったものもあった。
おそらく、苦無か何かをわざわざ持ち込んだのだろう。


「うわぁ…………」


顔を顰めた木の葉丸に、ナルトが笑い掛ける。


「これ見たの初めてだってば?」

「うん、だってこんなトコ入ることなんてないし……それにしてもこれは、ナルト兄ちゃん
の輝かしい功績を聞いた後だと『やっちゃった感』が強すぎ
るぞ、コレ」

「俺と比較したら可哀想だって。これを書いた奴等は、地味にチッポケな
満足感味わってんだから」

「やっぱりナルト兄ちゃんがスゴすぎるんだ!」

「そ、俺がスゴすぎるんデス。イルカ先生に宣戦布告する覚悟があるなら、お前等にその極
意を伝授してやってもいいってばよ?」

「「「本当!?」」」

「嘘。俺とお前等とじゃレベルが違いすぎんだよ。諦めて慎ましい生活送んだな」

「「「え〜…………」」」


明らかに落胆したような声を無視し、ナルトはその扉に手を掛けた。
開かれた扉の中にあるのは、とてつもなく汚れていることを除けば、なんの変哲もない洋式
トイレ。
ナルトの脇からひょこっと顔を出したウドンが、その汚さに顔を歪めながら口を開く。


「…………ホントならここで、赤いスカート穿いたおかっぱ頭の女の子が出て来るんだよね」

「へぇ……それで?」

「それで、トイレの中に引き擦り込まれるんだよ」

「七不思議ではそーなってんだ?なるほどねぇ……」

「違うのか、コレ?」

「もちろん、それじゃあただの花子さんじゃんか―――――まぁ、そーは言っても花子さん
自体エピソードがありすぎてどれが本物って言い切れねぇけど……忘れたか?五の怪の立役
者は花子さんじゃない、『鼻子さん』だぜ?」

「漢字変換間違えたのかと思ってた…………」

「んな訳ねぇだろ。当て字であることに変わりはねぇけどな。ここの鼻子さんは、チキンハ
ートの持ち主にとっちゃエグイことこの上ねぇんだ」


ニヤリ、と。
不穏な笑みを浮かべたナルトが扉の内側に簡単な印を組んだ後手を翳すと、何もなかったは
ずのそこに、木の葉丸達にはまだ理解できない文字で書かれた札が一枚、突如として出現し
た。


「その札なぁに?なんで隠してたの??」


興味津々な様子のモエギの問いに、面倒臭がるでもなくナルトが答える。


「そりゃ見つからねぇよーにするためだろ。ぶっちゃけると、鼻子さんの正体はコレだ。式
なんだよ」

「式って―――――もしかして式神!?でもそれって、使役できる人間はそういないってジ
ジイが言ってたぞ、コレ!!」

「得手不得手があるかんな。俺だって得意って訳じゃねぇんだぞ?ただ、ちょっと
ばかし人より才能に恵まれてたから一通りこなせるだけであって」




「「「…………」」」

それがすごいんじゃぁ…………。 三人の内なる声は、札を剥がしているナルトには届かない。 わずかに目を細めたナルトは、手の中の札に、まるで命を吹き込むかのように息を吹き掛け た。 すると、消えた札の代わりに現われたのは。

「「「ぎゃ―――――ッ!!!」」」

ウドンが先ほど話した通り、赤いスカートを穿いたおかっぱ頭の女の子がそこに。 だが、子供らしいラインを辿る丸みを帯びた頬は紙のように白く、一切の血の気がない。 虹彩と瞳の区別さえつけられないほどの黒い眼は虚ろ。 紅を引いた訳ではないだろうに赤さだけが際立つ唇は綺麗な弧を描いていて、感情が欠落し た不気味な笑みにしか見えなかった。 白い着物と振り乱した長い髪の組み合わせではいないが、その姿は『万人が認める幽霊像』 と言っても過言ではないだろう。 フランソワ襲撃時のように一目散に逃げようとした三人を、ナルトは瞬時に作り出した一体 の影分身に捕獲させ、逃亡を阻止。 「だから逃げるなって。式だっつっただろーが」 「だ、だってハナ、花、鼻、☆●▽〒▲□&§※£¥♀♪―――――ッ!!?」 「人語を話せ、人語を」 お子ちゃま達を強引に引き戻し、少々乱暴に鼻子さんと向き合わせる。 恐怖のあまり固まっている三人と鼻子さんの目が、まるで鍵が掛かるようにしてガチッと合 うと、ニタァッと笑った鼻子さんは。 じゅるり……。

「「「な、なんか舌舐めずりしてるけど―――――ッ!!?」」」

「よっぽど『からかいがいがある奴等』って思われてんじゃねぇ?こら、鼻子。コイツ等は 何もしてねぇんだから大人しくしてナサイ」 主人に窘められたとたん不満そうな顔をした鼻子はクルリと回り、赤いスカートを翻してナ ルトに背を向けた。 そしてそのまま、空気に溶けるようにして消えてしまう。 「き、消えちゃった…………」 「久々の呼び出しだったのに怒ったから拗ねただけだ。さっきウドンが言ったみてぇに、便 器の中から手が出てきて引き擦り込まれることだけはねぇから安心しろ」 それって、それ以外は保障できないってこと ですか!? そんな意味を持つ無言の悲鳴を聞いたナルトが、盛大に苦笑した。 「俺の側にいる限りは安全だって。それより、そろそろ五の怪の真相聞きてぇだろ?」 ぎこちないながらも頷いた子供達を見下ろしながら、ナルトは語り出した。 ことの発端は珍しく教師ではなく、当時ナルトと同じクラスであった男子生徒だ。 三代目によって出された緘口令が今よりも意識されていた当時は、自分の子供に『うずまき ナルト』と関わるなという徹底した教育を施す親は珍しくはなく、決まった子供以外はナル トに近づくことはなかった。 しかし、子供というのは馬鹿な生き物で、集団から外れている者がいると、たちまち悪い意 味での『構いたがり屋』に変身するのである。 その中で主犯格だったのが、片親が名家の出身であるが本人はたいした才能に恵まれなかっ た二人の男子生徒だった。 誹謗中傷は当然、下駄箱に泥団子を隙間なく詰めることか ら始まり、剃刀の刃入りの(ある意味)熱烈なラ ブレターを送り付けてきたり、どこから持って来 たのか知れないザリガニ君を給食のシチューの中 に生きたまま混入してみたり、教科書の全てのペ ージを墨で塗り潰してみたり、ナルトの座席に生 ゴミの油和えをブチ撒けてみたり、普通の子供が 思いつく限りのいろいろなことをしてがしてくれ た。 もういっそ、その労力に対して賞賛の拍手を送りたくなったが、いくら温厚なナルトとて、 どうしても許せないというものが確かにあって。 それを証明する事件が起こったのは、里に影分身を残しての長期任務を終わらせて帰還した 翌日のことだ。 その日、アカデミーで影分身と入れ替わったナルトは、一月にも及ぶ長期任務の報告書の束 を持参していた。 外交問題に関わるような内容の任務だったため、任務完了に至るまでの経緯を通常よりも事 細かに記さなければならず、それが一日分ではなく一月分なのだから、実際に任務に就いて いた時よりも神経を使う作業であることは言うまでもない。 その報告書を依頼人の前で実際に読み上げなければならなかったのだが、刻一刻とその時が 近づいてきているというのに肝心の報告書が書き上がっておらず、授業中の時間をフル活用 してまでそれを仕上げた苦労は、今でもよく覚えている。 だが、仕上げた報告書を肌身離さず持っていたのが仇になった。 ない知恵を絞って実行した数々の嫌がらせに対し、期待通りの反応を示さないナルトに痺れ を切らした例の二人が、なんというタイミングの悪さか、何もその日である必要などないと いうのに仲間と共に更に過激な行動に移ったのだ。 それは、ナルトにとってはさして珍しいことではない、しかし同世代から受けるものとして は初めての集団暴行だった。 その会場となったのが、人目を気にしなくても済む北校舎二階の男子トイレ。 アカデミーのナルトは誰もが認める『ドベ』なため、真実がどうであろうとドベらしくして いなければならず、殴る蹴るの暴行はエスカレートする一方で、挙句の果てには清掃用のホ ースで水攻めときたもんだ。 そんな目に遭って報告書が無事なはずもなく、その後のナルトがどんな思いをしたか。 怪我だったら、すぐに治るからいい。 物だったら、替えが利くからいい。 だが、この任務に費やした時間と手間に替えがあるものだろうか? 任務成功が事実であることに変わりはないため結局どうにかなったからいいものの、二人が 一生真面目に働いても稼ぐことのできないほどの金が動いていた任務だったのだ。 その上、三代目曰く『誰にも任せられない』というその任務を受けるのと引き換えに、長年 探し続けてきた禁術書を横流ししてもらう予定だったナルトにしてみれば、到底許せる話で はない。 そこでナルトは立ち上がった。 奴等の給食に通常の何倍もの効果がある無味無臭 の下剤を盛って復讐の舞台に誘うと、自分と同じ目―――――いやいや、それ 以上の目に遭わせるべく、鼻子にご協力願った訳だ。 もともと怪談話のレギュラーであったハナコに、周期のある苦しみから解放されて晴れやか な顔をしている二人を結界を張った個室の中に閉じ込めさせると、水遁系の術で下水道から いろいろなモノが混ざり合った汚水を逆流 させ、二人を漬物にした。 もちろん、水死させるつもりではない。 ―――――っつーか、そんなに簡単に終わらせてなるも のか。 二人を解放した後、鼻子はサスペンスドラマの第一発見者並みの悲鳴を上げた。 校内全体に響き渡るほどの悲鳴を聞きつけ、何事かとばかりに駆けつけた教師や生徒が見た ものは。 トイレの壁に寄り掛かるようにして呆然と座り込んでいる、何やらとてつもなく汚れている 二人の男子生徒だ。 本来ならば被害者であるはずの二人は我に返ると、あまりの羞恥からか真っ青になり、もう それ以上後ろへは下がれないというのに尚も後ずさろうとする。 まるで野次馬から逃げるようだが、誰だってこんな情けない状態を見られたくはないだろう から、それも当然かもしれない。 しかし、それだけでもかなりの精神的苦痛を味わっている二人に対する、鼻子(正確にはナ ルト)の攻撃は止まらなかった。 わざとらしく片手で鼻を押さえながら、人とは明らかに違う高い声で『酷イ格好!デモ私ヲ 怒ラセタンダカラ当然ダヨネ!!』と、それはそれはおかしそうにケタケタと笑うのだ。 二人のことは瞬く間にアカデミー中に広がり、それ以降も、ことあるごとに最低最悪のイジ メっ子である鼻子を差し向け、まるでいまだに臭うとでも言うように鼻を押さえながら、周 囲にどれだけの人間がいようとトイレの中での出来事を全て暴露してやるという地道な努力 を続けて―――――『アカデミー初☆ハナコさんの怒 りを買い汚物まみれになった子供』として、二人がア カデミーの人間全員から後ろ指を指されるようになった頃には、いつの間にかアカデミーか ら姿を消していた。 その二人が今どこでどうしているのか、知っている人間はいない。 黒幕であるナルトでさえも、このナイトツアーに参加するまで忘れていたぐらいだ。 「…………ナルト兄ちゃん、悪者だね」 「えー?そうか、コレ?俺はちょうどいいって思ったぞ」 「僕も!『目には目を』じゃなくて、『目には目と歯を』ってことでし ょ?カッコイー!!」 「でもだからって、そこまでしなくてもいいのに…………」 「俺も後になってちょっと『やりすぎたかな』って思ったんだ。なんせ相手は親の言 うことが全て真実だと思い込んでる、視野の 狭いガキだったからな。人に吹き込まれた考えは持 ってても自分の考えは持ってないアホゥに育っ たのは、ソイツ等だけのせいじゃねぇし。これから先の人生も流 されて送ってくことになるんだろーなぁ〜 って簡単に想像つくぐらいだから、まぁ仕方ないって言えば仕方ない んだ。だって馬鹿なんだから。ただ、やっていーことと悪いことの区別く らいはできてほしいなぁ〜って思った訳デスよ、うん」 「「「それはナルト兄ちゃんも同じだと思」」」

「なんか言ったか?」

「え、何?誰かなんか言った?」 「何も言ってないよ!木の葉丸ちゃんでしょ!?」 「お、俺か、コレェ!?」 他の二人の分も罪を擦り付けられた木の葉丸は、ナルトに絶対零度の視線を向けられて引き 攣った声を上げたが、自分よりも年下の子供や女性には余程のことがない限り寛大なナルト は、木の葉丸の両頬をみょーんと引っ張っただけだ。 「ちょっと賢くなったと思ったけど、やっぱまだわかってなかったみてぇだなぁ?」 ニコリ☆ 嘘みたいに綺麗な顔に、非の打ち所のない笑みを乗せて。 いつもなら身震いする笑顔だというのに、なぜか木の葉丸は嬉しかった。 もちろん、ナルトを恐ろしいと思う生き物としての正常な感情もあるのだが。 ナルトの不評を買って成敗されてきた人間と自分達に対する扱いの差を実感すると、ナルト の中の好感度順位を垣間見たようで嬉しくなるのだ。 本当に本当に、怖くて堪らないのだけれど。 ものすごく乱暴だろうが、ドス黒い性格をしていようが、実は下忍どころではない実力を持 っていようが。 ナルトが自分達の唯一無二のヒーローであることに、変わりはないのである。
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