最悪の事態を回避できたことは幸いなのか、そうでないのか。
抜忍となった者とその関係者の末路を知る人間であるカカシとしては『これ幸い』と喜ぶべきなのだろうが、
その代わりに上層部から与えられた罰は、生易しいものではなかった。
上忍資格を剥奪されないまでも、なんの生活保障がないまま半年間の停職処分。
たとえ停職期間が明けたとしても、それから三年間はかなりの減俸をくらってしまう。
人生を悲観せずにはいられないカカシの心理状態は至極当然であるが、『監督不届き』という言葉を振りかざされれば、
受け入れざるをえなかった。
今のところカカシは、その処罰に対してなんの不満もなかったが、
その処罰の意味については再度広く深く考察する必要性があると思えてならない。
なんてったって。
「まさか暗部復帰とはねぇ〜…………」
『写輪眼』のカカシといえば。
ビンゴブックにも載っている、他国にもその名が知れ渡った実力派の忍である。
いくら部下の不始末だとはいえ、そんなカカシを停職処分に課したまま遊ばせている程、今の木の葉の財政に余裕はない。
『木の葉崩し』からの復興は順調であるが、いかんせん、金銭面に限界がある。
そして、『忍』で生計を立てていると言っても過言ではない里の今後の信用問題にも大きく関わってくるため、
忍という職業を生業としている人間は皆、下忍であろうと休むことなく働き尽くめなのだ。
『表向きの処罰とは別件とし、裏で働け』というのが、里の意向らしい。
「だからと言って、今更暗部ってのもアレな気がするけど」
忍とは所詮、里の駒だ。
ただの駒がそれに抗えるはずもない。
カカシは丸められた通知書を一瞬にして灰にし、額当てで隠れていない方の目を空に向けた。
どんよりと曇った空は重苦しく、今にも涙を降らしそうである。
大量の湿気を孕んだ生温かい風が少ない露出箇所を撫でていく様は、あまり心地良いものではなかった。
そこへ。
「おや、そこにいるのはもしかしてカカシ先輩ですか?」
穏やか声音と共に気配を現したのは、暗部服姿の青年だった。
小豆色の髪を風に靡かせ、音もなく路肩に降り立った彼に、カカシは見覚えがあった。
それもそのはず。
彼は、カカシが暗部に所属していた当時の後輩に当たる人物だったのだ。
「…………安曇か?」
「はい。お久し振りです、カカシ先輩。お元気でした?」
同じ里内に住んでいながら、ここ数年顔を合わせていなかった安曇の登場に多少は驚いたものの、
カカシはたいした動揺も見せず普段通りの気の抜けた反応をする。
「ま、見た通りだよ」
「そのわりには顔色が冴えませんね。何かあったのですか?」
「あった、とでも言うのかねぇ。期間限定だけど、暗部に復帰することになったんだよ。
お前と組むこともあるだろうから、ま、そん時はまたよろしく」
社交辞令であるその台詞に対する安曇の返答は、カカシの予想とは大きく外れていた。
「すみません。おそらくそれは無理かと」
口では謝っておきながらも、少しも申し訳なさそうな仕草を見せない安曇を不審に思い、カカシは黒い瞳を細める。
「…………へぇ〜なんで?」
仮にも元暗部。
暗部内の組織図は知り尽くしているつもりだった。
暗部は本来、幾つもの班に分かれている。
その一つ一つの班の構成人数は、規定のままでいけば小隊と同じく四人であるが、あくまでそれも規定の上での話であり、
必ずしも絶対という訳ではない。
任務の内容によって構成員は変わるし、人数にしても同じこと。
書類上の所属班などあてにはできないのだから、安曇が見た目通り暗部に所属しているのなら、
その可能性は充分にありえるはずなのだ。
それなのに、なぜ。
「私は今、書類上はどこの班にも属していないのです」
「どこの班にも属していない?そんなこと」
「私の言うことが信じられないというのなら、どうぞ問い合わせるなりなんなりなさって下さい。
私を見つけることはできませんよ」
妙にきっぱりはっきりと言い切った安曇は、どこか誇らしげだった。
その発言のどこにその要素があったのか、あいにくカカシにはわからなかったが、
どうやら安曇の言うことが真実らしいということだけは理解できる。
そこでカカシはふと、先程の会話を頭の中で反芻し、思考のささくれに触れた部分を実際に音にしてみた。
「…………安曇、今お前、『書類上は』って言った?」
その言葉に、安曇は肯定を返した。
「えぇ、そう言いました」
「―――――ってことはつまり、実際はどこかの班に属してはいるんだ?それで、その班自体が機密扱いだ、と。そういう訳ね」
「大筋は合ってますね」
「俺がいない間に、随分と組織図が変わったもんだねぇ〜…………」
呆れているのか、それとも感心しているのか。
端から見るだけではカカシの反応は判別しにくいように感じたが、少なくともカカシ本人は、
その両方の意味を込めて感想を述べたつもりだった。
ただでさえ存在を隠された暗部の中で、更に隠された班ができていたなど、今回の復帰がなければ一生知らずにいただろう。
そこまでする必要性が一体どこにあるのかはわからなかったが、そんなことは今はどうでもいい。
別段、興味も何も感じなかった。
「でも、今のこの時期どこも忙しいのは同じでショ?新しい火影サマにこき使われてるんじゃないの?」
カカシの問いに、安曇が暗部面の下で笑う気配がした。
「五代目にこき使われるということは、私の最近の記憶にはありませんね。私を容赦なくこき使っているのは、
私より年下の小さな主ですから」
『小さな主』
その言葉に、カカシは少なからず驚いた。
若手の中でかなりの有望株だった安曇をこき使っているのが、火影ではなく他の人間なのだという。
隠れ里の全ての忍を統率する火影ではなく、なんの権限も持たないはずの、しかも安曇より年下の子供なのだと。
いくら忍の世界が実力主義の縦社会だとはいえ、このケースはかなり極端な気がするのはカカシの気のせいだろうか。
「妙な話だと思われますか?」
「―――――ってか、思わない方がおかしいでショ」
「私にとっては至極当然なものですから、どうとも言えませんが…………彼はお強いですよ。おそらく、この里の誰よりも」
「火影サマより?」
「そういうことになりますね」
正直、信じられなかった。
現職の火影よりも強い子供など、いるはずがないと。
無言になったカカシに苦笑し、安曇はついと視線を外した。
外された視線が再び固定されたのは、ある一点。
つられるようにしてその一点に目を向けたカカシは、そこで自分が受け持つ班の生徒の姿を見た。
太陽の光を反射する金髪が眩しい、かつての師の忘れ形見であり、
その小さな身体に『九尾』という名の異物を挿れられた憐れな子供だ。
有り余る元気の良さが空回りして、忍としての才能を疑いたくなるようなことばかりしでかしてくれるが。
さすが『器』と言うべきか。
素地だけはかろうじて整っている少年―――――うずまきナルトだ。
そのナルトが、熱くて濃ゆいカカシの同僚の部下と一緒にいた。
名前は確か、『日向ネジ』だったか。
一見正反対とも思えるタイプ同士の組み合わせの不自然さに首を傾げそうになるが、
安曇は二人の様子をさも当たり前のように眺め、続く言葉を紡ぐ。
「―――――彼は恐ろしく強い。しかし、それと同時に恐ろしく弱いのです。
それでも、定められた流れに抗って必死に生きようとしている…………その孤高な気高き魂を守ることが、
今の私の生きる意味でもあります」
「なんでそこまで入れ込む訳?」
安曇はカカシに視線を戻した。
「『深淵の縁から覗いた《里》っていう名の箱は、偽善と歯の浮くような台詞で原色がわからない程塗り固められている』」
誰かの口真似なのか、声音までも変えている。
その声は酷く淡々としていて、温度というものを感じさせない。
「『蓋を開ければそこからは、もはや腐臭を伴う白い膿しか出てこないんだ』―――――彼の言葉です」
辛辣な、しかし事の本質を見事に言い当てているその主張に、カカシは目を細めた。
「すっごい考え…………その子、よっぽど恵まれない人生を歩んできたんだ?」
「―――――それを決めるのは彼自身であって、私達ではありません。
彼を早々に不幸だと決め付けるのは、思い上がった人間の傲慢な意見でしかないのです。
しかし、世間一般の意味で言うならば、そういうことになるのだと思います。
そんな彼と行動を共にして、私も里の実態を身をもって思い知りました。
ですから、私にとって里などどうでもいいことでしかありません。彼だけの役に立ちたい。
そのためなら私は、喜んで意思のない駒になり下がります」
「よくわからないなぁ〜その気持ち」
「そうでしょうね。私は私であって、カカシ先輩ではないのですから」
安曇は変わった、と思う。
人格の基盤となる性格はたいして変わってはいないけれど、その考え方が大きく。
空白の時間の間に、一体何が安曇をそうさせたのか。
『真実を知った』と言っていたが、果たしてその真実がどれほどのものなのか。
そして自分は、その真実をどこまで知り得ているのか。
「…………そうだね。俺もお前とは違うからわからないよ」
考えることが面倒になったカカシは、途中でその思考回路を遮断した。
キリがなかったからだ。
他にすることもなく、再び金色の子供に目を向けようとしたが、いつの間にかナルトの姿は視界から消えてなくなっていた。
ナルトだけでなく、連れのネジまでも。
上忍である自分に気付かれることなく姿を消したという事実に半場呆然としたが、
安曇との会話に気を取られていた所為だと思い直し、カカシは無理矢理その違和感を打ち消した。
一瞬、安曇の言う『彼』とナルトが頭の中でダブったように思えたのは。
おそらく、気のせいだ。
暗部第零班隊長の実態は
「ほら、これが今回の任務だよ」
横っ面に、任務依頼書である巻物を叩き付けられる寸前。
木の葉最強の女傑の馬鹿力の被害に遭っては堪らないとばかりに、すさまじいまでの反射神経をフル活用し、
器用にも顔の真横でそれを受け止めたのは。
ようやっと十代に差し掛かったような年齢の、金髪碧眼の少年だった。
彼は黒と闇に溶けるような漆黒の外套で全身を包んでおり、
その中性的な容貌を暗部面で隠すなどという無粋な行為には移されてはいない。
少年―――――ナルトは、巻物にあるまじき威力に小さく口笛を吹いた。
とっさのことでもろに素手で掴んでしまい、ビリビリと鈍痛を伴う痺れに襲われる。
それでも顔に出そうとしないのは、すでに幾度目なのかもわからぬ程、そういう受け取り方をしているからだ。
「突然の呼び出し…………何かと思えば、理由はコレかよ」
「やぁね。それ以外に理由があるとでも思ってたのかい?」
思ってませんでした。
ナルトは軽く頭を掻き、どうでもよさげに欠伸をする。
「んで?何度も言ってあると思うが、依頼を受けるかどうかは、俺の意思一つで全て決まる。
綱手のばーさん、そこんとこをちゃんと理解しての言動なのか?」
「あぁ、わかっているつもりだ」
三代目が生存していた当時こそ、暗部入隊と引き換えに無条件で(と言っても報酬はしっかりゲットしていたが)
任務を引き受けていたものの、三代目が没した時点でその契約は無効となった。
五代目となった綱手に協力する形で現役暗部を張っていることに変わりはないが、
任務一つを受けるにしても、ナルトの意思を最優先することができるのだ。
つまり、上の命令を絶対とする忍世界であっても、用意された任務が気に喰わなければ遠慮なく蹴ることができるのである。
まぁ、それでも最近は余程のことがない限り、大抵の任務は引き受けるようにはしているが。
「今のところ、基準は一つ。ようやく確保した睡眠時間を削ってでも受ける価値がある任務なのか否か、だぜ?」
「任務内容としては、要人護衛・暗殺。ランクはS」
「Sぅ〜?」
ナルトは語尾を必要以上に延ばし、その心情を実にわかりやすく表現した。
乗り気ではないらしい。
「断る。護衛・暗殺なんていつものことだし、たかがSランクごときに俺の貴重な睡眠時間を奪われて堪るかってんだ。
他に回せ、他に。それと承知の上だろうが、俺の私兵に押し付けようったって無駄だからな。
別件で動いてる奴もいるし、そもそも奴等は、どいつもこいつも俺の指示にしか聞く耳を持たない筋金入りだ」
「まぁ、待ちな。任務内容が要人暗殺で、ランクがSであることに変わりはない。
だが、そのSランク任務が重なっていたとしたらどうだ?」
ナルトは片眉を上げ、唇を引き結んだ。
「…………そんなの、よくあることじゃないのか?」
とかなんとか言いながらも。
水晶をそのまま嵌め込んだかのようなナルトの瞳は、薄闇の中でもわかる程楽しげに光っている。
「忍をやっている以上、確かにあるな。しかしさすがに、同胞と敵対するような任務はなかっただろう?」
意味深な台詞を理解するのに、時間はいらない。。
それを耳にしたとたん、ナルトは口元を歪めて笑った。
「ようするに、同じ里出身の忍が、正反対の立場として共通の任務に取り組む訳か」
「そういうことだ。どうだ?面白いとは思わないか?」
「面白いな。よし、引き受けてやるよ―――――なぁんて、言うと思ったか!」
巻物の先端を綱手の鼻先に突き付け、ナルトは片手を腰に当てた。
その秀麗な顔に浮かぶのは、呆れ返った表情だ。
「なんのこっちゃない。そんなのただの管理部の不手際だろうが。その不手際が生み出した副産物はまぁまぁ面白いが、
俺はそのフォローのためだけに全力疾走しなきゃなんだろ?冗談じゃないっつーの」
「頭ごなしに否定するんじゃないよ。話を聞いてからでも遅くはない」
ナルトの溜息を承諾と受け取ったのか。
執務机の上に身を乗り出した綱手は、事の次第を細かく説明し始めた。
標的は隣国の大名が長子、奈津己姫。
じきに御歳十七歳なり、近々凪という名の家老の孫息子との婚儀を控えているらしい。
そして依頼者は、彼女の父親の正室である匡子の君。
大名と匡子の間には三歳になる男児がいるが、何分まだ幼く、
跡目を継ぐのは側室との間に生まれた奈津己姫の夫となる人間ということになっているのだそうだ。
それを快く思っていないのが匡子で、『本来ならばいくら幼かろうと正室である自分が生んだ子供が後継ぎになるはずだ』
と頑なに主張し、ついにはお家騒動にまで発展したのだという。
それが奈津己姫の暗殺の謀略であり、それに対しての任務依頼は受理され、すでに動き始めている。
遅ればせながらナルトに用意された任務は、奈津己姫の護衛と匡子の暗殺だった。
「片方の依頼者が匡子の君だってことはわかるけど、この任務の依頼者はどいつだよ」
命を狙われている奈津己姫の父親―――――大名という可能性は当然、家老ということも考えられる。
何しろ、大名の姫君と家老の孫息子の婚姻は、両方にとって損なものではなく、むしろ利となるのだ。
家老側にしてみれば、大名と親戚関係になれて家名が上がり、凪はいずれ一国一城の主となるのだから行く末も安泰であるし。
大名家側にしてみても、数少ない国の重鎮に重きを置いてさえいればその忠義は確固たるものへとなるのだから、
危険因子を事前に消すことができる。
いずれにしろ、ナルトはそんなことに興味はないのだから、
たとえ依頼人が奈津己姫本人だったとしても驚く要素などどこにも見出せない。
ただ、話の流れ上聞いておかなければならないだろう。
「依頼人は凪殿だ」
「凪殿?それはまた意外な」
「初めは政略結婚そのものだったそうだが、引き合わされたとたん互いに一目惚れしたらしい。
いいことじゃないか、恋愛結婚なんだから」
「ふ〜ん、幸せなのは結構なことだよ。でも、今はそんなことどうだっていい。
それともう一つ、すでに動き出してるっていうこっち側の人間は誰だよ?」
綱手はニヤリと笑った。
「誰だと思う?」
「もったいぶらずらさっさと言いやがれ」
「匡子の君は名前で選んだんだろう。わざわざ指名してきたぞ。あんなでも、一応奴は里の稼ぎ頭だ。
ビンゴブックにも載っているし、確実に奈津己姫を殺りたいのなら、それもまぁ賢明な判断だろうな」
「だから何?俺って気が長い方だけど、それにも限界ってもんがある訳。さっさとネタばらししねぇと、問答無用で帰るぞ」
脅しを込めたナルトの発言に、綱手は『まったく、この子は…………』とでも言いたげに肩を竦めた。
その心境は、言うことを聞かないキカン坊を宥めるような、そんなものなのかもしれない。
しかし、ナルトがただのキカン坊なのかというと、それとこれとはかなり突き抜けた意味で別次元の話のような気がした。
ナルトに対してはとことん甘い綱手は、それでもそんなナルトを諌めるという行為をしない。
『ナルト』という人格がそういう風に形成されたのは、別にナルトのせいではないからだ。
「ばーさん?」
訝しげに首を傾けたナルトに、綱手はそ知らぬ顔をする。
「いや、なんでもないよ。匡子の君側の任務に就いているのは、お前の担当上忍だ」
「…………はたけカカシ?そういやぁ、サスケの里抜け騒ぎの責任を問われて半年間の停職処分をくらったんだったな。
七班の活動自体しばらくストップしてたから忘れてたぜ。アイツ、暗部に復帰したんだ?ばーさん、随分とガメツイことしてんのな」
「仕方ないだろう?なんだかんだ言って、今の木の葉は人手不足なのさ。それより、引き受けてくれるかい?」
綱手のお伺いに、ナルトは小さく息を吐いてしばし考え込んだ。
里としては、たとえ結果がどうであれ、一度引き受けた任務については円滑な任務遂行を目指し、すぐさま動き出さなければならない。
それはわかる。
だが、よりにもよって『写輪眼のカカシ』と張ることになろうとは。
ナルトはふいに顔を上げ、側の影の中に隠形していた暗部の一人に声を掛けた。
「…………安曇」
「何か」
姿を現した六尺程の長身が、ナルトの傍らに膝をついた。
小豆色の髪の毛を静かに見下ろしながら、ナルトは湖底色の瞳を細める。
「お前確か、少し前にカカシといたことがあったな?俺がネジと一緒にいた時だ」
「えぇ。久々でしたので、少しだけ話を」
「どう思う?」
「何がです?」
暗部面の奥から覗く、髪と同色である安曇の瞳がナルトに向けられた。
無言で絡み合った視線。
少しの間逡巡した後、ナルトはゆっくりと口を開く。
「正直、俺はカカシの奴と関わりたくはないが、今、話を聞いた限りの状況で奴と張り合えるのは、
自惚れでもなんでもなく俺だけだと思ってる。どうせバラすつもりは毛頭もないし、この任務の内容自体に不満がある訳でもないしな。
公然と奴と刃を交える機会なんて滅多にないから、それはそれで面白そうだとも思う…………だけど」
「はい」
その話を黙って聞いていた安曇は小さく頷き、続きを促した。
ナルトは落ち着きなく目を泳がせ、外套の上から両腕を抱く。
多少の寝不足を除けば健康体そのものの身体に走った悪寒は、果たしてナルトの気のせいなのだろうか。
「…………すっげぇ、嫌な予感がすんだよ」
「当たりますからね、御子の『嫌な予感』は」
「そうなんだよ。百発百中の割合で当たっちまうんだよねぇ〜…………絶対、なんか起きるって」
『それこそ、とんでもなくメンドクサイことが』
某新人中忍のようにぼそりと呟かれた本音は、闇に溶けて消えていった。
「お初にお目に掛かります、奈津己姫」
闇に溶け込む漆黒の外套を纏い、白と赤のコントラストが印象的な動物の顔を模した面を付けた暗部が、
童話の中の姫君にそうするように、膝を折る。
一際異彩を放つ少年の後方には二人の暗部が控えていて、彼等も少年に倣うように畏まっていた。
色鮮やかに染められた最上級の絹に身を包み、一筋の乱れもない黒髪を綺麗に結い上げ、
そこに華美とまではいかないが充分に豪華な簪を幾つも差した彼女は、上座の御簾の中から黒装束姿の三人に向かって柔らかく微笑した。
「凪様からお話は聞いております。どうかそのように畏まらないで下さいませ」
『こちらが緊張してしまいますわ』と。
まだ若い(と言っても、確実にナルトよりは年上)姫君は、笑みを深める。
奈津己姫に促されたナルトは、その体勢のまま畳の表面から目を離し、衣擦れの音を立てることなく静かに顔を上げた。
「耳に挟んだ話によりますと、なんでも木の葉きっての最強の忍だとか―――――こうして直にお会いできて光栄です。
あぁ、でも少し興奮してしまいますわね!」
言う通り興奮しているらしい彼女に、ナルトは面の下で口をへの字にした。
その興奮が何から生まれたのか定かではないが、
普通ならここで、命を狙われていることに対する恐怖と緊張状態を『興奮している』と言うはずだ。
だがしかし、目の前の彼女からは、そんな緊迫した空気はこれっぽっちも見受けられない。
身に纏う空気は、むしろ、色に例えるとファンシーな桃色だった。
「どうかミーハーな女だとお思いにならないで下さいましね?わたくし、
何を隠そうあなた様の大ファンなんですの!自ら進んで禁忌の面を付けて、
金糸の髪を靡かせながら夜毎空を舞う『木の葉の金狐』の話は、隠れ里の方ではなぜか知られていないようですが、
この辺りの童なら誰でも好んで口にする話ですもの。その話を耳にしたのはつい最近のことなのですけれど、
わたくし、その時からあなた様のことを考えるといてもたってもいられなくなって…………心臓がこう、暴れ出しますの。
こんな思いは初めてですわ」
やんごとなき姫君は、どうやら夢見(過ぎ)る乙女族だったらしい。
その台詞の後に『お慕い申しております』と付け足されなかったのが、せめてもの救いだったということか。
婚約者の凪がこの事実を知っているかどうか定かではないが、もし知っていて『木の葉の金狐』に依頼してきたのなら、
たいした度胸だと褒めてやりたい。
自らの主が今どんな顔をしているのか手に取るように理解できた暗部の一人が、小さく噴き出す。
襟足の長い鋼色の髪に、ナルト同様に華奢な身体。
前髪の一房だけを深緑に染めた暗部は一見すればナルトと同年代、もしくは年下のように見えるが、
しかし、ナルトよりも確実に年上だった。
彼の本当の姿は知らない。
老人だったり、青年だったり、妙齢の女性だったり、子供だったりと、会う度に姿形が違っていて、
変わらないところといえば、その特徴的な髪だけなのだ。
自分の『私兵』だと明言しながらも、私生活にまでは深く干渉しないことにしているナルトは、
彼に関しては性格と戦闘スタイル、そして『伊吹』という名前しか知らなかった。
そんな伊吹を、安曇が窘める。
「伊吹」
「おぉっと安曇君、そ〜んな恐い声出さないでよ。僕だって悪気があって笑ったんじゃないんだからさ。ねぇ、姫☆」
話を振られたと勘違いした奈津己姫は、『わたくし?』と自分を指差して小首を傾げる。
ナルトは大仰な溜息をつき、酷く疲れた声音でその間違いを訂正した。
「紛らわしくて申し訳ありません。それは俺のことです、奈津己姫」
そのとたん、奈津己姫の顔が喜色に染まる。
何がそんなに嬉しいのだろうか。
「まぁ、『木の葉の金狐』は、皆々様に『姫』と呼ばれて敬われていらっしゃいますのね!」
いいえ、この男限定です。
誰彼構わず『姫姫』と連呼されていたら、ナルトは堪忍袋の緒を盛大にブッ千切って怒鳴り散らしている。
それなのになぜ伊吹だけが『姫』と呼ぶことを許されているのかというと、別にそれに特別な意味がある訳ではなく、
何度『止めろ』と言っても聞かないから諦めたというのがその理由だ。
すぐさまそれを否定しようとしたナルトだったが、ナルトの話は、奈津己姫のノリにノッた妙なテンションに一蹴されてしまう。
「ますます素敵ですわ!優秀な部下に守られながらも、
彼らを導く美しく強い深層の姫君だなんて―――――まるで御伽噺のようですわね…………」
本物の深層の姫君がわからなくなってきた。
「…………普通のお姫様ってこういうものか?」
奈津己姫に聞こえないように安曇に問い掛けると、安曇は苦笑して
『あいにく、お姫様の知り合いがいないものですからわかりかねます』と答えた。
明確な基準というものを知らないナルトは、『それもそうだ』と軽く頷き、
神秘のベールに包まれた彼女の実体を頭の隅に追いやってしまう。
近年希に見る、実に賢明な判断だ。
「…………任務の話に戻らせて頂きます。奈津己姫は、俺達がこれからすることを正確に御存知でしょうか」
奈津己姫は、数回瞬きを繰り返した。
何を今更、とでも言いたげだ。
「わたくしの護衛なのでしょう?」
「他には?」
「他に何かございますの?」
「わかりました。結構です」
なるほど。
この姫君には、『命が狙われている』ということは知らせていても、『誰の手によってその行動が起きるか』、
そして『その誰かがどうなるのか』は全く知らせてはいないという訳だ。
凪は余程、奈津己姫のことが大切と見える。
『知らなくて済むことなら、それにこしたことはない』という考え方か。
真実から渦中の人物を切り離すという考えにナルト自身は賛同できないが、確かにそれも一つの『守護』の形だろう。
「奈津己姫、姫の御身は後ろの二人が必ずやお守り致します」
「あなた様は?」
「俺には、俺にしかできないことがありましてね」
姫の小さな弟の母親を殺しに行って来ます、とは言えないけれど。
その代わり、ナルトは少しだけ面をずらして艶然と笑った。
幸運にもその笑みを垣間見ることに成功した奈津己姫は、瞬間湯沸機のごとく瞬時に顔面を赤面させ、
手の中から扇を取り零してしまう。
「…………何があっても二人の指示に従うと、約束していただけますか?」
少し掠れ気味のアルトが彼女の耳朶をくすぐった。
こんな壮絶なまでに美しい笑い方をする人間が、この世にいるはずがない。
そうは思っても、完全にナルトに呑まれてしまった奈津己姫は、壊れた人形のようにぎこちなく頷くことしかできなかった。
安曇は少しだけ遠い目をして、こんな場面でばかり人を惹き付ける力を無駄遣いしているナルトに思いを馳せる。
『小さな主はフェミニストなのではなく、実は最強のタラシなのではないか』と。
「それで、これって一体どういう訳?」
「見た通りだと思いますが」
「安曇と小さな暗部が、術で眠らされた奈津己姫を守っている―――――俺の援軍じゃないのは確かだねぇ」
「それどころか今は敵対勢力だってば。安曇も車輪眼のカカシも埒が明かない台詞ばかりでのらりくらりと遠回りしちゃってさぁ〜。
僕としては『一体何?』って感じなんだけど」
それなりにアレンジされているとはいえ、同じ忍装束なのは同郷の出身であるという証だ。
その三人の内訳は、二対一。
暗殺側と護衛側に分かれており、当然その目的も正反対な訳で。
もどかしくなった伊吹が発した一言は、
状況を完璧に理解していながらも理解しているという素振りを見せなかったカカシに対しての決定打となった。
「なんなの、この生意気なガキ。もしかしてコイツが安曇の言う『小さな主』ってヤツ?」
それを聞いた安曇と伊吹は同時に顔を見合わせ、そしてまったく同じタイミングでカカシの言葉を否定した。
「「まさか」」
「あれ、違うんだ?」
「安曇の主人が僕?それが本当だったら僕、神経性胃炎と鬱病を併発した上に遺書を残して自殺してると思う」
「もしも伊吹が私の主だったら扱いやすくて、私の苦労は半減するでしょうね」
互いに好き勝手なことを言った二人は、ついでとばかりにこの場にいない人間のことも話し出す。
「それに、『血が大好き☆』っていうちょっと危ない趣味を持った刹那を制御できるのは姫だけだし」
「一言も話さない鴇の思考を正確に理解できるのも、御子だけですから」
「…………なんか話を聞いてると、安曇達の『主』って超人―――――ってか、間違いなく変人じゃないの?」
「あ、ハズレではないね!」
「伊吹!」
安曇にそれ以上の暴言を止められた伊吹は、少しだけムッとした。
「だぁってさ〜姫が『変人』じゃなくて『只人』だったら、『じゃあ僕達はなんなの?』って気がしない?少なくとも僕は、
姫よりも地味に生きてるつもりだけど」
面の上からこめかみの辺りを押さえ、安曇はごくごく小さな声で『私は知りませんよ』と呟く。
そこに隠された本当の意味を知ろうとしない伊吹は、今この時この瞬間だけは幸せ者だ。
安曇は伊吹から視線を外し、どうやら単独任務らしいカカシに向き直った。
「とにかくカカシ先輩、ここは退いて頂けませんか?僕達はこちらの姫君を守るよう、主から命を受けていますので」
気分を害したのか、カカシの声音があからさまに低くなった。
「お前こそ退いてよ。こうなったらもう早い者勝ちしかないでショ?俺達は任務の内容通りに動いてるだけだし、
こういう場合の優先順位なんてある訳がないんだからさ〜」
「いくらカカシ先輩の頼みでも、それだけはできない相談ですね。主の命を破るぐらいなら」
安曇は鈍く光る忍刀を鞘から抜き、その切っ先をカカシに向けた。
カカシの咽元に向けられた切っ先に迷いは見出せない。
「たとえあなたでも、私は斬ります」
「へぇ〜…………」
その瞬間、室内の空気がピンと張り詰めたものになる。
「安曇の『主』に対する忠義はたいしたものだけど、その妄信的な考え方、少し見直した方がいいかもよ?
俺、後で絶対後悔すると思うなぁ〜」
「なんとでも言って下さい」
そして。
ただでさえ狭い室内で戦いの火蓋が切って落とされようとした、まさにその時。
「「「―――――ッ!!?」」」
三人がいた空間が、突如として闇に包まれた。
もともと、透かし彫りが施された行灯しか置いていなかったせいで薄暗い室内だったが、
その闇はわずかな光の存在さえも許さず、足下から全てを侵食していく。
だが、そこにいる三人だけが闇から弾かれ、かろうじて自らが光源になっているようにはっきりと『そこにいる』という実感は持てた。
「…………なんなの、これ?」
カカシは面を外し、視界を遮る邪魔な物を全て取り払ってから周囲を見回した。
似たような空間に放り込まれた経験ならある。
写輪眼の正統継承者であるうちはイタチと揉めた時に、『月読』という瞳術を掛けられたのだ。
時間の概念が瞬く間に崩れていく、全ての色彩が反転した世界。
今の状況は、ちょうどそんな感じだった。
ただ、一つだけ決定的に違うのは。
『月読』の場合は、その術が及ぼす影響が『精神支配』であったが、
これはどうやら『精神・身体の両支配』であるらしいということ。
「安曇、お前なんの術使ったの」
「『血』の力なしに無理やり場を作ることは容易ではありません。
こんな術、膨大なチャクラがなければほぼ不可能です。
けして、私ではありえません」
「じゃあ一体誰が」
「…………もしかして姫?」
考えられる可能性を、戸惑いがちにぽつりと洩らした伊吹。
その声に重なるように、歳若い少年の涼やかな声が三人の耳に入った。
「もしかしなくても俺だって」
闇の中にいてもなお感じる、強烈な存在感。
消そうと思えば完全に消せる気配を隠しもせず、頭のてっぺんから爪先まですっぽりと外套を被った小柄な暗部がそこにいた。
暗部面にぽっかりと空いた二つの穴から覗く瞳は、虚無と絶望、そして人を憎む心を知っている目だ。
しかし、その瞳には一点の曇りもなく、ただひたすら高い透明度だけが、その子供の高潔さをありありと体現していた。
カカシは目を細め、その一際小さな暗部に魅入る。
「御子…………」
呆然としたような安曇の呟きに、その子供が彼の言う『主』なのだと理解した。
「御子、これはどういう―――――もしや、すでにもう?」
「あぁ。あっちの手勢は雑魚ばかりで、気休め程度にもなりゃしなかった。軽いもんだ。それより伊吹、俺面白いこと聞いたんだけど」
その子供の言葉に、伊吹は傍目にもわかる程明らかに動揺した。
「ナ、ナンノコトデスカ?」
怪しい外国人のように、不明瞭な発音。
『御子』と『姫』、少なくとも二つの三人称を持つ彼の声は冷たかった。
「俺が『変人』だとかなんとか。後で俺とじっくり話し合う必要があるみたいだな」
「い、いやぁ〜姫はいろいろと大変じゃない?僕なんかに余計な時間を費やすなんて、そんな申し訳ないことできっこないよぉ。
遠慮しまぁーす」
「んな都合の良い言い訳が通用するとでも思ってんのか」
固まった伊吹の横で、安曇が『言わんこっちゃない』と嘆息する。
下克上などありえない絶対的な主従関係を目の当たりにしたカカシは、この時初めて、その子供が真の意味で彼等の主なのだと思い知った。
安曇の言うことは、嘘ではなかったのだ。
『楽しみにしてろよ』と追い討ちをかけた子供の意識が、伊吹からカカシへと移る。
その青い瞳に微妙な既視感を抱いたカカシは、その既視感がなんなのかわからないまま、その視線を真正面から受け止めた。
「初めまして、というべきか?『写輪眼のカカシ』、俺は暗部第零班の隊長だ」
「…………普通、肩書きよりもまず名前を名乗るもんじゃないの?」
「あいにく、名乗れるような名は持ち合わせていないんだよ。早速だけど本題に入らせて貰う」
子供は一方的にそう宣言し、手に持っていた何かをカカシの足下へと放り投げた。
鈍い音を立てて跳ねながら転がる物体が、黒い糸のような物をずるずると引き摺り、やがてカカシの爪先に当たって止まる。
振り乱された長い髪から覗く、もとは美しかったのであろう顔にはもはや生気も何もなく、
まるでろう人形のような不気味さだけがやけに目立っていた。
控えめに滴る目にも鮮やかな血が、普段なら信じられない程の強い芳香を放ち、数秒程度の眩暈を引き起こす。
カカシの足下に転がっているのは、女の首だ。
それもおそらく、カカシの依頼人である『匡子の君』。
「…………殺ったんだ?」
「そういうことだ。大人しく退くんだな。依頼人が死んだ以上、契約は無効なはずだぜ」
「それはそうなんだけどねぇ〜…………どうにもこうにも、気になってますます退く気がなくなったって感じかな」
「気になるって、何が?」
「ん?君のこと☆すっごく興味あるんだよね」
顔の半分をマスクで隠したカカシの胡散臭い笑みに、少年が纏う空気が変わる。
実に嫌そうだ。
「…………おい安曇、ここにキチガイがいるぞ」
「カカシ先輩、冗談は程々にして頂けますか」
「冗談じゃないよ、本気」
「なお悪いわ」
一触即発だった状況を回避させるために作ったのだと思われる場を、子供が素早く印を組んで、一気に解き放つ。
闇が退き、元通りの薄闇の和室が視界一杯に広がった。
緊張していたのだろうか。
無意識に吐き出した息に内心ぎょっとしたカカシは、咽の奥で『まいったね』と軽口を叩く。
額に浮かんだ汗も、それが目の前の少年が発する威圧感からくる冷や汗なのだとは思いたくないのが本音だ。
犬を追い払うかのように、横柄に払われた手。
「無傷でこの場から離れる権利をやる。さっさと行け」
「言ったでショ?君のことが気になるの」
「…………だったらどうするっていうんだ」
「ん〜」
カカシは短時間唸り、しかしすぐに答を出した。
その答は、少年暗部にとってはとんでもなくハタ迷惑なもの。
「とりあえず、君の素顔が見たいなぁ〜♪」
そのとたん。
せっかく穏やかになった空気が、先程よりも更に張り詰めたものになる。
「…………自ら進んで禁忌に触れようとするなんて、『写輪眼のカカシ』の恐いモノ知らず加減はそれだけで賞賛に値するな」
堪らない、と。
クツクツと笑い出した子供に、カカシは軽く眉を潜める。
「へぇ〜『禁忌』、ねぇ…………」
さすがの伊吹も、いつの間にやら事の核心へと急接近しているカカシを止めに入る。
あわよくば、その生命活動も止めそうな勢いだ。
「姫、コイツ殺っとく?」
「お前は止めとけ。安曇もな。コイツが相手じゃさすがのお前達も、無傷って訳にはいかないだろ。
無駄な小競り合いで血を流す必要はないからな」
「ですが御子」
「くどい。相手にしなければいいだけの話だ。行くぞ」
彼の言葉に、安曇は渋々口を閉ざした。
二人の部下を促し、自分を完全に無視して立ち去ろうとする子供に対し、カカシの中で少量の憤りが生まれる。
掴みようがないこの感情がなんなのか、自分でもよくわからないけれど。
少なくとも、『この子供をこのまま見送ったら、二度と会うことはないだろう』という、あまり嬉しくはない終結図が見えた。
そう考えた次の瞬間、カカシは動いていた。
わずかな金属音と、空気が揺らぐ気配。
今の速さなら掠り傷くらいは負わせられたかと期待したが、刀の切っ先は少年の眉間の直前で、少年が操った鋼糸によって止められていた。
互いの武器が小刻みに震えているのは、力が均衡し合っているという証拠。
子供の声に含まれる険が増した。
「…………なんのつもりだ」
「俺、任務が中途半端でタマッてんの。任務盗ったんだからさ、少しぐらい遊んでってくれてもいいんじゃない?」
「突然人に斬り掛かる理由がそれかよ」
聞こえてきた大きな舌打ちに、『してやったり』と笑みを零す。
鉄をも両断する鋼糸によって、綺麗に折られた刀。
しかし、カカシは忍刀に巻き付いていた鋼糸が緩んだ一瞬の隙を突き、駄目押しとばかりに切っ先のない刀で子供に襲撃を掛ける。
少年は、この至近距離では考えられない常識を逸脱した反射神経でその攻撃を避けたが、顔の横から胸にかけて外套を切られていた。
宙に舞うのは、外套の黒い繊維と金糸。
そう、少年は金髪だった。
「―――――ッ!!」
まさか、と。
そんな思いが脳裏をよぎる。
木の葉の人間で金髪碧眼なのは、ただ一人しかいない。
しかし、アレと目の前の子供とではギャップがあり過ぎやしないだろうか。
片や『ドベ』が代名詞の下忍。
片や暗部第零班の隊長で、火影でもないのに個人的に私兵を持つ、
下手をしたら自分よりも強いのではないかと思われる凄腕の忍。
同一人物であるはずがない。
そうであるはずが―――――。
「ったく。いい迷惑だ!」
姿を隠す目的を担えなくなった外套を即座に脱ぎ捨てた少年が繰り出す、
疾風のような鋼糸による攻撃を紙一重(正確には致命傷を負わないという意味だが)で避けつつ、カカシは機会を窺った。
―――――とは言っても。
相手が相手なだけに、そんな暇は貰えない。
何しろ、カカシはそれなりに傷を負わされているというのに、少年は外套以外になんの犠牲も払っていないのだ。
「御子!」
安曇の呼び掛けに、『手を出すな』と命じるだけの余裕さえある。
子供にとっては不利だろうと思われる接近戦に持ち込もうと試みるが、そこも心得たもの。
己の弱点を正確に理解しているのか、無謀な行動に移る気配はこれっぽっちもない。
強い。
おそらく、今まで戦ってきた誰よりも、確実に。
しかし、死を間近にしての絶望とか悲愴とか、その手の感情は不思議なことに一切感じなかった。
彼は本気だが、本気ではないから。
真実を知りたい。
ただ、その一心でカカシは動く。
「お前、何をッ」
子供が驚くのも無理はない。
カカシは鋼糸の嵐の中へと自ら飛び込み、自分の腕に絡めることで動きを封じたのだ。
鋼糸というものは極細の針金のように思われがちだが、実は違う。
もし針金であったなら、いとも簡単に鉄を切ってしまう程切れ味は良くない。
鋼糸を拡大して見るとよくわかるのだが、通常の刀のようにしっかりとした背と刃が存在していて、
慣れないと自分の指も切り落としてしまう可能性があるという扱いが難しい忍具の一つなのだ。
鋼糸に関してはズブの素人であるカカシがむやみに手を出して、無事でいられる保障などはどこにもなかったのだが。
幸いにも、カカシの腕に接している部分は鋼糸の背だったらしい。
少し深く皮膚に食い込んで血が滲んではいるが、切断という悲劇にはなっていないのだから。
「馬鹿が、自分の腕を犠牲に…………ッ!?」
「…………それでも知りたいんだから仕方ないでショ」
そして、ついにカカシは少年の腕を取るという偉業に成功した。
少し乱暴かと思ったが、結ばれていた紐を解くこともせず、そのまま面を剥ぎ取ってしまう。
露わになったのは、記憶にある顔。
いや、記憶にあるソレよりもずっと大人びた顔付きをしているが、それでも例の子供であることに違いはなかった。
金髪碧眼の、九尾の器―――――うずまきナルト。
頭の中で、パズルのピースがぱちりと合う。
以前から感じていた違和感も既視感も、綺麗さっぱり掻き消えた。
「…………なるほどね、それが本当のお前な訳か」
再びクツリと笑った少年―――――ナルトは、カカシの顔を酷く冷めた目付きをして見返した。
「それが何?」
痛い程の眼光。
じりじりと焼かれるような強烈な眼差しは、全てを拒絶しているようで、それでいて全てを受け入れようとしている。
二人の間にそれ以上の会話はなく、その膠着状態のまま沈黙が続くと思われた。
しかし。
「はぁ〜い、それ以上姫に触らないでくれる?」
減るから、と。
何がなんだかよくわからない理由でカカシの首筋に苦無を突きつけたのは、伊吹。
本物の凶器を突きつけられた今、カカシはもう動かなかった。
三対一で、その内の一人はひた隠しにしなければならない程の実力の持ち主だ。
自分に勝機はない。
その隙にナルトはカカシの側からゆっくりと離れ、面を乱暴に剥ぎ取られた時の後遺症を吹っ切るように、数度頭を振った。
「御子、お怪我は?」
「ある訳ないだろ。それにしても、俺はつくづく面を剥ぎ取られる運命にあるらしいな」
それはつまり、前にもそういう経験があるということ。
自分よりも早く、このナルトを知ることになった人間がいるということだ。
それが酷くもどかしく、また、悔しい。
「嫌な予感、見事的中ってか?最悪じゃん」
顔を顰めたナルトに頷き返した安曇は、投げ捨てられていた外套をナルトに手渡し、ナルトの耳元でそっと囁く。
「奈津己姫も無事、匡子の君はもうこの世にいないのですから、任務は終了とみなしていいはずです。
里と依頼人に向ける報告書は私が纏めて引き受けますから、今日はこのまま里に帰りましょう」
「そうだな。伊吹、行くぞ」
「はぁーい」
「ナルト」
カカシの呼び掛けに、ナルトは半身だけで振り返った。
小作りな顔に貼り付けられているのは、ドベ時の笑みだ。
目だけが笑っていない、ぞっとするような。
「なんだってばよ、カカシ先生?」
その笑みの裏に巧妙に隠された真意に、カカシは押し黙る。
この期に及んで何をと思いかけたが、その考えもすぐになくなった。
「…………なんでもな〜いよ。また明日ね」
「謹慎中のカカシ先生と俺が会える訳ないってば!」
ナチュラルにフラれてしまったけれど、それはそれでいい。
今度こそナルトは、安曇と伊吹を引き連れて消え去って。
残されたカカシは腕に付いた傷を押さえながら、それでも嬉しそうに口元を緩めた。
「お前がそれを貫き通すなら、知らないフリをしていてあげるよ」
それがお前の望みだろう?
『だけど、人目がないところでは保障はできないからね☆』と、ナルトにとって不穏でしかない発言をして、
カカシは転がっていた依頼人の首を燃やした。
『ナルトに付けられた傷が残るといいな』などという戯けた希望を胸に抱いて。
追いつけはしないということは承知の上で、ナルト達の後を追う。
単調で退屈でどうでも良かった日常に、終止符が打たれた瞬間。
END
†††††後書き†††††
蕾華さんから頂いた三万打リク、『暗部ナルトの正体がカカシにばれる』です。
な、長いです。ひたすら長いです。
二つに分けようかと思ったんですが、
切れ目が微妙だったんでそのまま放置したらこんなことに…………ここまで一気に読んだら、
少し疲れるかもしれません。ごめんなさい(土下座)え〜今回は小説のコメントについては控えさせて頂いて、
オリキャラの名前の読みだけでもしっかりと書いておこうかと思います。まず安曇『アズミ』、刹那『セツナ』、
伊吹『イブキ』、鴇『トキ』です。ナルト君の私兵はこの四人で、あとのオリキャラは徐々にということで。
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